(2)医療通訳体制の準備

1)医療通訳体制の準備~なぜ医療通訳が必要なのか?

 日本で暮らす外国人のほとんどが日本語や英語が母語ではない.そのため,医療機関を受診する外国人患者も担当する医療従事者にとっても一番困るのが“言葉の壁”である.医療におけるコミュニケーションは生死にかかわるため,外国人患者の診察においては,医療通訳を介して,患者が理解できる言語で説明・同意を取ることがトラブル・訴訟予防に有効である.
 2015年には,群馬県で日系ブラジル人女性が職場の健康診断で胃のバリウム検査を受診し,機械が動いた時に滑り落ちて,機械に頭を挟まれて亡くなるという医療事故が起きた.この時,医療機関には医療通訳がいなかった.担当した放射線技師が書類送検されたが,個人の責任としてよいのだろうか.日本語を話すことができない患者に検査の説明をする時,医療通訳がいなければ,今後もこのような事故が起きる可能性がある.
 たしかに医療通訳を介して診察をすると時間がかかるが,通訳がいないと正確な問診を行うことができない.例えば,アレルギーのある薬品を投与してしまったり,宗教上食べてはいけないものを配膳してしまったり,既往歴など治療に必要な情報を聞くことができなかった際には医療事故やトラブルに発展してしまう可能性がある.医療通訳は,患者のためのサービスであると同時に,医療機関と職員を医療事故やトラブルから守るために利用するものだと考えられる.

医療通訳がいないと…

  • 問診ができない(診察に時間がかかるため,他の患者さんを待たせてしまう)
  • 本人,家族の治療への協力が得られない
  • 治療,ソーシャルサポートの介入の遅れ
  • 信頼関係を築くことが難しい
  • 訴訟・トラブルのリスク

日本語が話せる家族や知人が診察時の通訳として同伴することがある.しかし,家族や知人は“医療通訳”ではないので,故意でなくとも通訳時に,単語が抜けたり,間違えたり,あえて患者に悪いことを伝えないということがある.また,日本語が話せる子どもが学校を休んで通訳のために来院することもある.しかし,学校を休むことで学習が遅れたり,命にかかわる通訳をすることの精神的負担が大きく,健全な心の成長に影響を及ぼす可能性があるため,子どもに通訳をさせるべきではなく,適切な研修・教育を受けた第三者の医療通訳を活用するのがよい.

医療通訳者に必要な知識・スキル

  • 医療,医療制度,保険に関する用語,知識
  • 母語と通訳言語の十分な言語能力
  • 通訳技術
  • 倫理
  • 守秘義務

<事例2>
外国人観光客に人気のあるCクリニックには,英語圏以外の患者が突然受診することがしばしばある.英語以外の言語に対する通訳システムを利用したり,説明用資料を入手したいと考えているが,どうしたらよいか?

Answer
【最初の確認】使用言語は何語か?
メディフォンの言語確認ツール(図13)が有用である(http://mediphone.jp/lang_sheet).17カ国語が示されており,利用申請フォームに医療機関名などを入力するとダウンロードができる.用意しておくと,いざという時に慌てない.
【通訳システム】通訳アプリケーション(or時間帯によっては)各地の救急通訳サービスアプリケーションの使用方法,電話番号などを前もって確認しておくとよい.
【説明用資料】厚生労働省外国人向け多言語説明資料
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/kokusai/setsumei-ml.html
インターネットにつながるパソコンで,必要な際に印刷できるようにしておくとよい.

2 )東京都における外国人患者対応支援

 東京都福祉保健局ホームページ(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/iryo_hoken/gaikokujin/index.html)では以下のような支援が紹介されている.
・「外国人患者受入体制の充実に係る第三者認証(JMIP)取得補助」
 JMIPは,「日本国内の医療機関に対し,多言語による診療案内や,異文化・宗教に配慮した対応など,外国人患者の受入れに資する体制を第三者的に評価することを通じて,国内の医療機関を受診するすべての外国人に,安心・安全な医療サービスを提供できる体制づくりを支援する」制度である.厚生労働省が2011年度に実施した「外国人患者受入れ医療機関認証制度整備のための支援事業」を基盤に策定された(20頁参照).

  • 「外国人患者受入体制整備補助」
    院内資料やホームページの翻訳,案内表示の多言語化などに係る費用を補助する.補助上限は民間医療機関(診療所を含む)1医療機関当たり50万円.診療所であっても補助の対象となる.
  • 「外国人患者対応支援研修」
     東京都では,2016年度から,場面ごとの外国人対応時の注意事項,制度などの説明方法,未収金防止対策などについて研修会が実施されている.2018年度は,基礎編を2回,実践編を窓口編と診療編として分けて,それぞれ2回ずつ実施された.
    2017年度の事後アンケートを受け,実践編では事務サイドの窓口編,医師サイドの診療編に分けて実施され,講義のほかグループワークも行われた.
  • 「外国人患者への医療等に関する協議会」
    http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/iryo/iryo_hoken/gaikokujin/30gaikokujinkyogikai.html
     医療機関や関係団体,観光・宿泊施設などの連携強化を図り,外国人患者への医療提供に係る取り組みを促進するため,外国人患者への医療などに関する協議会が設置された.
    具体的支援として,医療機関の実態把握と情報共有で医療機関リストを作成するとともに,宿泊施設など関係機関向けマニュアルの作成を始めている.
    2018年度は新宿区と渋谷区でモデル事業が行われ,今後,地域の実情に応じた外国人患者受入環境整備が進められる(図14).

3 )外国人向け多言語説明資料(厚生労働省 日本医療教育財団)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/kokusai/setsumei-ml.html
 厚生労働省では,「医療機関における外国人患者受入れ環境整備事業」において,一般財団法人日本医療教育財団により2013年度に作成されたものを同財団が2018年3月版として改訂したものをホームページ上に公開している.
全文書に日本語を併記し,5カ国語(英語・中国語・韓国語・ポルトガル語・スペイン語)で作成されている.
産婦人科医療機関で活用できる資料としては,以下のようなものが用意されている.

  • 問診票
    産婦人科 問診票
  • 治療・手術・検査料
    麻酔:麻酔問診票,麻酔に関する説明書
    輸血:輸血療法に関する説明書,輸血療法に関する同意書
    輸血や血漿分画製剤投与拒否に関する説明書
    手術:深部静脈血栓症と肺塞栓症予防のための説明書
    入院:入院治療などの拒否確認書
    CT検査:CT検査に関する説明書,造影CT検査説明書,造影CT検査問診票
    MRI検査:MRI検査問診票,MRI検査に関する説明書,造影MRI検査問診票,
    造影剤を用いるMRI検査に関する説明書
    感染症検査:感染症検査について
    新生児スクリーニング:新生児マススクリーニングの説明書,新生児聴覚スクリーニングについて
    同意書:同意書(治療・検査などの汎用フォーム)

4)東京都救急通訳サービスと多言語対応(電話通訳の例)

東京都のパンフレットを図15に示す.
事前の利用登録が望ましいが,緊急の場合には,都内の医療機関であれば未登録でも対応してもらえる.2018年度はブリックス:https://www.bricks-corp.com/が担当した.
 その他,2018年度には,厚生労働省「医療機関における外国人患者受入れ環境整備事業」における「団体契約を通じた電話医療通訳の利用促進事業」に,東京都医師会は一般社団法人JIGHが運営するmediphone(メディフォン:https://mediphone.jp/)とともに参画し,2018年9月3日から2019年3月31日まで電話医療通訳を活用した.毎日8時30分から24時00分まで,17言語に対応.受付,診療,検査,投薬,説明など,医療現場の各場面で対応できることとし,事業後のアンケートで今後の改善を図ることとしている.

5)翻訳アプリケーション,翻訳機

外来の場で使いやすい翻訳アプリケーションとして,以下のものを紹介しておきたい.

  • VoiceTra(ボイストラ:http://voicetra.nict.go.jp/)
  • Google 翻訳
    いずれもスマートフォン,タブレットで使用できる.
    翻訳機では,ポケトークとイリーを挙げておきたい.
    ポケトーク:https://pocketalk.jp/
    イリー: https://iamili.com/ja/inbound/
    医療機関などに向けたイリープロが紹介されている.

 2018年度からの第7次医療計画に「外国人患者への医療」を項目として掲げた東京都の取り組みを主に紹介した.各道府県,各政令指定都市においても,外国人観光客や在留外国人に向けての多言語対応の取り組みが進められている.どの医療機関でも,外国人への医療に対応する場面があり得る昨今である.自院で対応する場合はもちろん,しかるべき医療機関に紹介,連携できるよう,各地域の自治体や医師会の情報を得ておきたい.
 なお,東京都医師会のホームページには「外国人医療」のサイトを設け,通訳,問診票,服薬,その他(外国語版母子健康手帳など),外国人向け医療機関案内などが紹介されている(https://www.tokyo.med.or.jp/inbound).東京都以外の医師,医療機関にとっても有用である.

6)大学での取り組み

 東京医科歯科大学医学部附属病院では,2018年4月に国際医療部を開設し,英語・中国語に対応可能なスタッフが外国人患者・家族と病院スタッフのサポート業務を行っている.また,24時間10言語に対応した電話・ビデオ通訳を導入している.24時間救急外来で救急患者を受け入れているため,通訳タブレットを救急外来に常時設置しており,スタッフに医療通訳の使い方や外国人患者対応の研修を行っている.
 医療通訳タブレットは,救急外来や受付,外国人患者が入院した時にはベッドサイドに置いて,いつでも必要な時に使えるように備えている.医療通訳コールセンターが24時間10言語に対応しているので,休日や夜間に急に通訳が必要になった時にもすぐに使うことができる.
 受付などでの簡単な会話は,医療通訳タブレットの機械通訳機能を使っている.ただし,診察や検査・手術の説明などは,医療通訳サービス(ビデオ・電話)を利用している.

通訳サービスの選定基準は,

  • 医療通訳に対応していること
  • 誤訳やトラブル時の保証や対応
  • 個人情報保護
  • 医療機関を受診する患者の言語ニーズや時間帯に対応している


 当院が使用している医療通訳サービス(ビデオ・電話)では,医療通訳タブレットの画面上に個人情報の保護と録音に関する説明を表示し,はじめに患者の同意を取った上で,医療通訳サービスの利用を開始し,録音を行い,万が一,説明を受けていないなどのトラブルがあった時に備えている.また,通訳コールセンターでは,2名体制で通訳をしている.通訳者の横でスーパーバイザーが通訳者の会話を聞いて,単語を抜かしたり,間違えた時には指摘してすぐに訂正する体制をとって誤訳の防止に努めている.それでも,医療通訳者が故意ではなく間違えてしまうことがあるかもしれない.そのような時に備えて,病院の損害賠償保険でカバーされるのかなど,院内の医療通訳使用時の規約を作成しておくとよい.また,スムーズに通訳ができるように,事前に予定が決まっている場合は「いつ」「どんな説明をする」かをあらかじめ通訳者に伝えておくことで,通訳者が予習や準備をすることができる.国際医療部では,できる限り,事前に検査などの説明資料(日本語,個人情報が記載されていないもの)を通訳コールセンターに送付するようにしている.

 現在,増加する外国人患者の医療通訳ニーズに対して,特にベトナム語,ネパール語,ミャンマー語,タガログ語,インドネシア語などの稀少言語の医療通訳者が不足している.今後も,これらの国からの旅行者や留学・就労・国際結婚に伴い日本に定住する人は増加すると思われる.外国人患者が安心・安全に医療を提供する体制整備のために,医療通訳の育成が喫緊の課題であり,ぜひ,医療機関での医療通訳実習の受け入れや医療通訳養成講座での講師など,医療通訳者の育成に協力いただきたい.