分娩中に脳出血を発症し,高次医療施設 18 施設が転院搬送応需不能であり,搬送先で死亡した事例 〈0 地裁 2010 年3月〉

1.事案の概要

 原告Aの妻,妊婦B(32歳,初妊初産)は 2005年8月X日(妊娠41週1日)計画分娩目的で C病院入院(血圧 122/70㎜Hg),PGE 2内服を開始した.14時45分の時点で予定の6錠を内服終了,18時頃から陣痛は規則的になったが分娩までにはまだ時間がかかる状態であった.X+1日0時,右側頭痛,嘔吐出現(血圧 155/84㎜Hg). 0時14分,意識消失が出現し担当D医師が診察,血圧 147/73㎜Hg,呼吸に問題なく SpO2 97%,診察依頼された当直内科E医師は瞳孔所見・胸部所見とも異常なく失神と判断,経過観察を助言した.以後F助産師がBの血圧,分娩監視装置の観察を行ったが意識消失は続いた.1時37分,痙攣出現(血圧 175/89㎜Hg),D 医師は子癇と考え硫酸マグネシウム静注を指示,1時50分,G大学病院へ母体搬送を依頼,2時頃,呼吸障害出現.18施設が応需不可で受入先の確保が困難を極め,4時 30分,H病院への搬送決定時に気管挿管,4時49分,搬送開始,5時47分,H病院到着(血圧 163/99㎜Hg,JCS 300).6時20分施行のCTで右前頭葉に径7㎝の血腫,著明な正中偏位,脳幹部出血,脳室穿破と診断された.7時55分,開頭血腫除去術および帝王切開術が開始され,8時4分,原告I 出生,10時頃手術終了.Bは8月X+9日, 脳出血のため死亡,解剖はされなかった.

 

2.紛争経過と裁判所の判断

(1)原告は,① C病院で頭部CT を行うことで救命できた,②転院先決定の遅延がなければ救命できたなどと主張して,損害賠償請求した.

 以下の争点①②について,裁判所は次のように判示し,原告の請求は棄却された.

①病院で頭部CTを行うことで救命できたか

 意識消失時の CTで所見を得た可能性はあるが,全身状態問題なく経過観察の判断は不適切でない.痙攣出現時には CTを実施すべきだが,一刻を争う事態と判断し, C病院におけるCT所要時間(通常40~50分)と搬送先決定所要時間(通常1時間以内) を考慮して高次機関への搬送依頼を優先した判断は合理性を有する.また,移動および検査中のリスクを考慮した慎重なCT施行時期の選択も重要である.仮にCTによって脳出血と診断しても Bは分娩進行中で産婦人科の緊急措置が必須であり,子癇として搬送先を探した場合と比べて転院先決定が容易になったとは言い難く,CT未実施につき過失を認めない.

 

②転院先決定の遅延がなければ救命できたか

 X+1日0時の右頭部激痛,嘔吐出現時に右脳出血が発症,0時14分の意識消失時は血腫が中脳まで及び,1時37分の痙攣出現時は中脳と橋の両側性障害が考えられる.2時頃の呼吸障害出現時は脳ヘルニア進行過程「中脳-上部橋期」に相当し不可逆的である.2時頃から数十分以内の開頭術でないと救命不可能と考える.

 心因的意識喪失発作は30分程度で回復するとされ,意識消失時から30分経過した0時50分の時点で脳内異常を診断し,搬送依頼を開始することが取り得た最善措置とも考えられるが,この場合,搬送所要時間30分,H病院での到着から手術開始までに要した2時間を考慮すると,転院先決定の遅延がなくても,手術開始は3時30分頃が予想され,脳内病態は既に非可逆的で開頭術による救命の可能性は極めて低い. 脳出血の経過が急激であったため,産婦人科,脳神経外科,麻酔科の完備した病院で分娩,かつ緊急対応可能な状態でない限り救命不可,諸条件が揃っても救命可否は不明であり,転院先決定の遅延と死亡との因果関係は否定される.

(2)裁判所の付言

 救急搬送受入れ困難事案は大都市圏に集中し救急医療の体を成していない.救急医療の整備確保は国や地方自治体の最重要責務で,Bの死を無駄にしないためにも周産期医療等救急医療体制の充実再生を切に望む.

 

3.臨床的問題点

対応策

 分娩中に生じた意識障害と痙攣では,脳出血の鑑別のために CTを考慮する.ただし,母体救命のための高次施設への搬送を優先してよい.O地裁の付言にもあるとおり,この事例を契機に緊急に母体救命処置が必要な妊産婦を必ず受け入れる「母体救命対応総合周産期母子医療センター」(いわゆるスーパー総合周産期センター,東京都2009年)や「大阪府母体救命システム(最重症妊産婦受入体制)」(2010年)などのシステムが設立された.

 

4.法的視点

 本件では,① C病院で頭部CT を行わなかったことについての過失の有無,②転院先決定の遅延と死亡との因果関係が主な争点であった.争点①については,CT 実施の必要性は認めつつ,検査や搬送の所要時間を考慮して過失を否定した.争点②については,搬送を依頼し転院先が速やかに決定していたとしても,その後の急激な経過からすると,救命可能性はなかったなどとして,因果関係を否定した.

 法的には,①過失,②因果関係,③損害結果についてそれぞれ検討され,これらすべての要件を満たした場合に,損害賠償責任が認められるため,本件のように①過失がないとされる場合には②因果関係について検討することなく請求が棄却されることも珍しくない.しかし本件の裁判所が①過失,②因果関係のいずれについても判断した上で,上記のとおり付言を述べているのは,社会的注目度の高い事件であったことを考慮したものと推認される.