3.予見と回避と事実認定

1.事実認定

 双眼鏡を使っていなかったことは「事実」であり,記録や証言から事実認定が行われる.記録や証言には常に誤謬や虚偽が含まれ,最初からすべての証拠が1つの真実を指し示すことは少ない.事実認定は相互に矛盾する証拠の取捨選択である.

 さらに,「もし双眼鏡があったら闇夜の氷山が見えたかどうか」も「事実認定」の対象となる.これは,現実に起こらなかったことについての事実認定なので,記録や証言だけでは事実認定ができず,専門家の意見を聞く必要があるが,現場をみていない専門家の意見も様々に分かれるだろう.ここでも相互に矛盾する証拠の取捨選択が行われる.

 裁判所は証拠の「信用性」という言葉をしばしば使うが,それは,その人の人格や識見を信用するという意味ではない.その事件の審理の中で,前提となる事実争いのある事実を仕分けし,争いのある事実を認定するための証拠(記録や証言,意見)を, 具体性や一貫性があるか他の証拠との整合性があるかなど,多様かつ総合的な観点から評価するのが「信用性」の評価である.証拠の評価を裁判官に委ねる考え方「自由心証主義」という.

 

2.予見と回避

①事実認定の対象としての予見と回避

 予見可能性があるかどうか,回避可能性があるかどうかについても,様々な見解の相違があることが多い.これらは,いずれも「事実認定」の範疇に属するから,相互に矛盾する証拠の中から裁判所が自由に証拠の取捨選択を行っていく.先ほどのタイタニックの例で述べたとおり,予見可能性は0%から100%に変化し,回避可能性は100%から0%に変化するが,いずれもレトリックないし比喩に過ぎない.裁判所は, 実験結果に基づく群間比較を行うわけでなく,過去の1回の事実について,現実には起こらなかった予見や回避について仮想的な可能性の程度を議論しているにすぎないから,定量的な把握はできない.

②法的評価としての予見と回避

 どの事件でも,どこかの時点では予見可能性や回避可能性が認められることが多い. そのことを前提として,民事事件については「損害賠償を命ずるほどの義務」に違反したといえるかどうか(刑事事件については「刑罰を科するほどの義務」に違反したといえるかどうか)を裁判官が検討し判断する.民事と刑事では大きな差があり,社 会の風潮によって裁判官の常識も揺らぐが,特に事例ごとの事実認定とその根拠となる医学的な証拠(文献やガイドラインや記録や証言や意見など)鑑定人や専門委員などの医学的評価によって裁判所の判断は大きく影響される.診療ガイドラインは,医療水準についての有力な証拠ではあるが,それに従った場合でも従わなかった場合でも,その事案のその時点の判断として「合理性」が問われる

③医師の後知恵バイアス(hindsight bias)

 医師は,望ましくない結果が発生した時に,その結果から教訓を見出し,現場の医師に注意を喚起し,未来の医療の改善に尽くしてきた.ただ,結果を知った後で経過を検討して不十分な点を見出すことは,事前に適切な判断に基づく医療を実践することよりもはるかに容易である.裁判所の法的評価に強く影響する医学的評価に携わる医師は,後知恵バイアスによって過酷な非難を行っていないか,常に自戒する必要がある