2審で逆転敗訴となった胎便吸引症候群の事例 〈N 地裁2002 年2月〉

1.事案の概要

 7時頃児頭が骨盤出口付近まで下降.9時頃になっても位置がほとんど変わらな かった.

 9時30分頃から吸引分娩を実施,数回試みたが児頭の位置はほとんど変わらなかった. 医師は吸引によっての分娩は困難と判断,応援を乞うたが休日のため連絡がとれなかった.

 医師は10時50分頃T病院と連絡がとれ,11時15分頃T病院の医師から連絡があり病状を説明,11時46分救急車を要請し,50分出発.

 12時20分頃T病院分娩室に搬送された.

 T病院医師は鉗子分娩が必要と判断し,12時31分分娩.児体重2,978g,アプガースコア3.胎便吸引症候群と診断,気管内洗浄などが行われたが,16時8分死亡.

 

2.紛争経過および裁判所の判断

①1審は次のように医師の過失なしと判断した

・被告はザイツ法を用いてCPDを否定しており,吸引分娩開始前に骨盤内に陥入し, 経腟分娩ができたので,CPDが存在したと認めることは困難.

・遷延分娩とまではいえず,漫然と鉗子分娩を適切に実施しなかったとはいえない.

・分娩監視装置を設置して連続的な分娩監視をすることが義務づけられているとまでは認めることはできない.

②2審では,W医師の鑑定が行われ,この論旨に沿って医師の過失ありと判断した

・胎便吸引症候群の原因は胎児仮死の進行による重症代謝性アシドーシスに起因するもので,発症時期は吸引分娩開始後間もなくと推定される

・吸引分娩を行ったのは急速遂娩の意味で行われたものであるから,不成功に終わった時点で他の方法(鉗子分娩あるいは帝王切開)に切り替えるべきで,この場合児の先進部の診断に誤りがあり,かなり高いところにあったと判断され,帝王切開が行われるべきであったと推測される.

・被告施設には分娩監視装置がなくドップラーで間欠的に監視されているが,記録も十分でなく胎児仮死を看過していた.

 

3.臨床的問題点

・本件は1994年のものであり,このような過去の裁判例を通じて,約25年前から現在に至る産科医療の変遷が感じられる.

・近年は,産婦人科診療ガイドラインや産科医療補償制度の「再発防止に関する報告書」などにより,一般的な診断・治療の水準が示され,分娩時における分娩監視装置装着の重要性や吸引分娩を行う際の注意点を認識することができる.

・上記の事案概要のみでは詳細が分からないので,胎便吸引症候群がどの時期に発症した可能性があるのか,どうして吸引を数回しても分娩に至らなかったのか,分娩後にどのような治療が行われ死亡に至ったのかの経緯は不明であり,1審と2審とでの鑑定でどちらの解釈がより事実に近いのかの判断も難しい.

・しかし,記載内容から,分娩監視装置による胎児心拍数や,児頭の回旋・下降度の評価・記載が不十分であった可能性が高いことは推測される.

・したがって,この事例を通し,分娩に携わる医療従事者の基本的な姿勢として,分娩時には母体のバイタルサインをはじめ,胎児心拍数陣痛図や内診所見,超音波検査所見,助産師・看護師からどのような内容が医師に報告をされ医師がどのように対応したか,あるいは医師がどのように判断し医療行為を行ったかなどの記載を診療録にしっかり記録しておくことの重要性が再認識させられた.

 

4.法的視点

 1審と2審では裁判官も異なり,2審で双方の主張と証拠の補充,異なる鑑定意見が提出されることもあるために,異なる結論となることも少なくない.また,争点が多岐にわたる場合など,訴訟提起から確定まで5年以上を要する事例も散見される. 本件も,長期間にわたって過失について厳しく争われた結果,1審では医師無責との判断であったが,2審では鑑定人の意見を援用して医師有責となった事例である.

 医療事件において損害賠償請求が認められる場合は,一般に,その事件が発生し た日から支払い済みまでの遅延損害金(2020年4月1日に民法が改正され,法定利率は年5%から年3%に引き下げられた.今後3年ごとに見直される)が発生するため, 本件のように解決までに長期間を要した有責事案では遅延損害金もまた高額となり得る.加入している医師賠償責任保険の補償内容を確認しておくことも有用であろう.

 ところで,鑑定人は,原告側または被告側から推薦したり,各裁判所が有する鑑定人名簿を用いたり,各学会に鑑定人推薦を依頼する制度を用いるなどして裁判所が選 定するが,当該事案に相応しい鑑定人を選定することは困難を伴う.本件のように, 鑑定人の意見は裁判の帰趨に大きな影響を与え得るため,鑑定人の選定手続の際には, 当事者として意見を述べ,より適切な鑑定人を推薦するなど慎重かつ積極的な対応が必要である.