母児同室中の観察不足による低酸素性虚血性脳症 〈F 地裁 2014 年3月〉

1.事案の概要

 母親は妊娠37週4日,12時9分予定帝王切開(既往帝王切開後妊娠)にて児を出産した.児は出生時体重2,618g,アプガースコア8点/9点,多呼吸のため保育器で管理された.母親は13時40分に病室に移動し, 15時にフルルビプロフェンアキセチル(ロピオン),17時にペンタゾシン(ペンタジン),ヒドロキシジン塩酸塩(アタラックス P )を投与された.18時の児の体温は36.8度で全身状態が改善したため保育器からコットヘ移動した.18時10分から19時と,22時に助産師が児を母親のベッドに移動させ,直接授乳を開始した.その際の児は口や鼻腔が閉塞されるうつ伏せ体勢ではなかった.22時40分母親は児が乳首を吸啜せず手を握らなくなったことに気が付いた.23時20分母親のナースコールにより助産師が駆けつけ児を NICU に入室させたが,児は呼吸心肺停止状態であった(血糖値は正常).病院スタッフが蘇生措置を行ったが,結果的に児は低酸素性虚血性脳症(身体障害者福祉法1級)となった.

 

2.紛争経過および裁判所の判断

 裁判所は,以下の争点(1)~(3)について次のように判示し,被告病院スタッフの経過観察義務違反の過失を認め,1億3,047万円の損害賠償請求を認めた.

①体温管理義務違反

 病室室温,新生児室室温とも24~25度に維持され,18時の原告体温は正常で,コットに移動の際,着衣,バスタオルによる適切な保温措置がなされており,被告病院に体温管理義務違反はない.

②栄養補給義務違反

 母乳育児に関する医学的知見上,以下の①~⑨以外の場合は原則的に新生児に対して母乳以外のものを与える必要はない.①出生体重1,500g未満,②在胎32週未満,③早産児,SGA,分娩時低酸素性ストレス,母体糖尿病児,④低血糖,⑤重篤脱水状態,⑥体重減少8~10%,⑦シーハン症候群,原発性乳腺発育不全,⑧母乳産生不良,⑨ 授乳時の激痛.原告は①~⑨に該当せず,被告病院スタッフに栄養補給義務違反はない.

③経過観察義務違反

 母児の生理的行為である授乳時に常時医療従事者の立ち会いや血中酸素濃度モニタリングの義務はない.しかし,稀に新生児の急死事例や授乳中の新生児の窒息や圧死の事例が発生するため,医療機関は出産後入院期間中の母児への適切な指導や観察を行う必要がある.被告病院は,原告を原告母に預ける際に,原告母が帝王切開術による疲労,鎮静薬の影響により授乳中に睡眠状態や意識朦朧状態に陥り,原告に窒息や圧死が生じ得ることや,原告の容態急変時に原告母が的確に対処できない可能性を予見でき,危険回避のための経過観察義務を負う. 22時から23時20分に一切経過観察を行わなかった被告病院スタッフには経過観察義務違反がある.

 

3.臨床的問題点

①母子同室についての説明が分娩前に適切になされていたかどうか

『「母子同室」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,「妊娠中に母子同室の十分な説明を妊婦に行い,夫や家族にも理解を促す」と記載されている.本症例では,分娩前に,母子同室の利点,リスク,方法につき母親に医療スタッフに適切に説明され,母親の意思を確認していたかどうかが問題となる.本症例では,母親が児の異常に気が付いてからスタッフに声をかけるまで40分かかっているが,母子同室中の児の急変の可能性について事前に十分説明がなされていたら,母親がいち早く児の異常に気が付き,スタッフに伝えることができた可能性がある.

②母子同室が実施可能であるかどうかの判断は適切であったかどうか

『「母子同室」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には適応基準(母親)の中に,注意を要する状態として,鎮痛薬・鎮静薬を使用している場合が挙げられている. 本症例では母親は鎮痛薬・鎮静薬を使用されており,病院スタッフは母親が児の状態を十分観察できる状態であったかどうかを判断し,また母親が児を観察できないのであれば病院スタッフが児の観察を行う必要性を認識することができていたかどうかが問題となる.

③母子同室の方法が適切であったかどうか

『「母子同室」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,「母児はベッドを共にしない」と記載されている.本症例では,授乳以外の時間も児が母親の胸の上にいたことが問題となった可能性がある.

④児の蘇生が適切になされたかどうか

『「母子同室」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,「新生児蘇生法(NCPR)の研修を受けたスタッフを配置する,急変時に蘇生をする場所をあらかじめ定めておき,蘇生に必要な物品を準備する,急変時の救急コール体制を決める.」と記載されている.本症例では,研修を受けたスタッフによる適切な NCPR が施行されたかどうかが問題となる.

 

4.法的視点

 医療行為について過失が認められるかどうかの判断の分岐点は,「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」を満たしていたかどうかにある.裁判では,各種の診療ガイドラインや指針などを参考にしながら,問題となる医療行為について本来求められる具体的な水準を判断した上で,当該事件では求められる医療水準に見合った診療を行っていたかどうかにより過失の有無が判断される.

『「母子同室」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』が発行されている現在においては,本件同様の事例において法的に求められる医療水準や過失の有無を判断するに際し,同書の記載内容が参考とされ,より厳しい判断がなされるものと考えられるため,同書の記載内容には十分目配りをした上で,母子同室を実施する必要がある