妊婦の子宮頸がんを見落とした結果,出産後約1年で死亡した事例 〈F 地裁 2007 年3月判決,F 高裁 2007 年 12 月和解成立〉

1.事案の概要

 1996年,原告AはP病院で子宮頸がん(上皮内腺がん)の治療として冷凍手術を受けたが,術後の定期検診を受診していなかった.1999年5月,A(20代後半)は被告医院を妊娠のため受診し,妊娠5週と診断された.しかし,その際,子宮頸がんの治療歴を一切告知せず,また,妊娠歴について6回の中絶歴があったが1回と虚偽の申告をしていた.その後,Aは外来にて複数回,不正性器出血を訴えたが,切迫早産と診断され,子宮頸部細胞診は実施されなかった.

 1999年12月,37週0日で陣痛発来のために受診した際,子宮腟部が硬く,子宮口付近にしこりが感じられたため,帝王切開にて出産した.産後1カ月健診では異常なしとされた.2000年6月(産後6カ月),Aは不正性器出血を訴え被告医院を受診したが,子宮頸部細胞診は実施されず,経過観察とされた.しかし,その約1週間後に他院を受診し,子宮頸がんⅢB期と診断された.P病院へ紹介され加療を受けたが, 約1年後に死亡した.

 

2.紛争経過および裁判所の判断

(1)一審(F地方裁判所)

 2002年,被告医師および被告医院に対し,初診時以降,Aが不正性器出血を訴えていたにもかかわらず,全く細胞診を行わず,勧めもしなかったこと,出産時までにがん所見を見落としていたことにつき過失があるとして約7,850万円の支払いを求めて提訴した.

 争点は,①初診時(1999年5月)に子宮頸がんが発症していたか,②発症していたとしてその進行程度,③一般の産科医で発見し得たか,④当時の一般開業医の診療所における妊娠中の細胞診の実施状況,⑤仮に子宮頸がんを発見でき,直ちに治療できたとして,救命可能であったか,⑥既往歴などの不告知について,患者の過失を相殺すべきか,などであった.

 鑑定人は上記争点に関し,次のとおり意見を述べた.①②について,初診時の経腟超音波検査の画像から,Aの子宮頸部の腟壁に厚さ約2.8㎝,長さ約5㎝の腫瘤が存在していたと考えられる.これは,前医で治療した腫瘤が進展したものと考えられ, この時点で子宮頸がんは少なくともⅠB またはⅡB 期であった.③④について,1999年5月当時,Aの子宮口は閉鎖しており,子宮腟部びらんの部位からの出血を疑い, 細胞診などの子宮頸がんの検診を実施すべきであった.⑤について,広汎子宮全摘術が実施されれば,ⅡB期であった場合でも,5年生存率は約70%と考えられる.

 この鑑定を受けて,裁判所は,被告らの過失を前提に,4,000万円を支払う内容の和解案を出すが,原告らは拒否した.一審判決では,前記鑑定を全面的に採用し,細胞診などの子宮頸がんの検診を実施し,適切な処置を行っていれば救命可能性は十分にあったとしつつ,既往歴を告知しなかった A には情報提供義務ないし診療協力義務を怠った過失があり,損害額を約6,000万円と認定し,過失相殺4割として約3 ,900万円の支払いを命じた.

(2)二審(F 高等裁判所)

 被告らは,K病院産婦人科部長の意見書(がんの進行と救命可能性,患者の告知義務に関するものなど)を提出するが,裁判所からは A の過失相殺はせいぜい3割であるとして和解を勧告し,和解が成立した.

 

3.臨床的問題点

 2007年1月に出された厚生労働省母子保健課長通知で,妊娠初期の妊婦健診において公費負担で行う検査の1つに子宮頸がん検診(細胞診)は含まれている.本事例は, この通知の前に発生したものであるが,当時であっても妊娠初期の妊婦に子宮がん検診を行うことは一般的であったと考えられる.さらに,妊娠初期の出血,分娩時の子宮口付近のしこりなど,子宮頸がんを鑑別しなければいけない状況が何度かあったにもかかわらず,子宮頸部細胞診が実施されなかった.妊婦が既往歴などを意図的に虚偽申告することは,殊に,悪性腫瘍に関しては大きな問題ではあるが,産婦人科医として子宮頸がんを常に念頭においた健診や管理が重要であることの警鐘になる事例である.

 

4.法的視点

 本件のように,争点の判断のために必要がある場合,裁判所は鑑定人を選任し,その鑑定意見を参考にして判断をする.裁判所は,鑑定意見に拘束されるわけではないものの,裁判所にとって極めて重要な判断材料である.本件でも,裁判所は,鑑定人の意見を援用して,初診時に細胞診などを行うべきであったとの過失と,同時点で広汎子宮全摘術を実施していれば救命可能性があったとの因果関係を認めており,鑑定人意見の重要性が示唆される.

 また,本件は,患者の情報提供義務違反ないし診療協力義務違反を認め,過失相殺がなされている.患者側にも落ち度があったことについて一定の配慮がなされたという点で,本件は例外的な事例であり,患者側に多少の落ち度があってもなお,医師の過失のみが争点となる事例がほとんどである.