日産婦医会報(平成17年01月)

法科大学院創設と医事紛争多発の恐れ

理 事  樋口 正俊


はじめに

 現在、進められている司法改革は医療訴訟をはじめ医療にも大きく影響すると推定されます。今回は、法科大学院創設と医事紛争を取り上げました。
 21世紀は信任社会〜他人のために一定の仕事を行うことを信頼によって任されている社会〜
 平成10年(1998)元旦の日本経済新聞「経済教室:21世紀への設計図」という欄に、東大経済学部の岩井克人教授が「市民社会は19世紀の固定的な身分社会(封建社会)から20世紀の自由で平等な個人の存在を前提とした契約社会(資本主義社会:政府・法律の介入を極力排除した社会)へと移り、さらに21世紀は専門分化・分業の発達による対等性を欠いた人間関係が広まるので、その対等性を維持するために専門家に対して信任義務を職業倫理ではなくて法律(政府)の介入によって律することになるであろう」と述べていた。そしてこの21世紀における対等性を欠いた人間関係の典型的な例として、患者と医師との関係を取り上げている。

司法改革の実現

 この論文に注目していたところ、平成11年に発足した司法制度改革審議会が、平成13年4月に、わが国の法曹人口が極端に少ないから岩井教授の言う信任関係を担保するには法曹人口の大幅な増員が必要とする意見を出した。これを受けてこれまでの司法試験制度が大幅に変えられ、平成16年法科大学院が新設発足した。将来はこれまで年間約700人の合格者を法科大学院定員6,000人の半分3,000人程度まで増員するということである。そして2030年には現在22,000人の法曹人口を50,000人に増やすと言う。

法曹人口の増加と司法・医療環境の変化

 近い将来、医療人は岩井教授の言う信任義務(忠実義務・善管注意義務・情報開示義務など)を果たしているかを司法から厳しく監視・規制されるようになる。またわが国の「和を以て尊しとなす」の気風は廃れ、これまで訴訟を嫌う風習や弁護士不在のため泣き寝入りの医療事故被害者が、容易に訴訟を起こせる環境が整うので、医療裁判が増えるであろう。日弁連の資料によると、米国では法曹1人当たりの人口は277人、弁護士1人当たりは295人である。これに対してわが国では法曹1人当たりの人口は5,510人、弁護士1人当たりの人口は7,155人である。すなわちわが国では米国と比べて法曹人口は約20分の1、弁護士人口は24分の1となる。米国が訴訟社会ということがよく分かる。紛争・訴訟多発の米国産婦人科医療の世界では、医師が少なくなっているのである。わが国でも将来急激に増える法曹人口、中でも弁護士の、生計の源は法律違反・紛争・それらの解決のための相談・仲裁・調停・裁判・代理闘争・弁護等であろう。ということは、これまでは顕在化しないで立ち消えていた事件が顕在化してくる、すなわちクレームや紛争が増えるということである。また現在、地域的に偏在している法曹人口分布の平均化が起こることが、これまで紛争・裁判の少なかった地方における事故・紛争の顕在化、訴訟化を促進するであろう。ちなみにわが国の弁護士21,152人(平成16年11月1日現在、日弁連資料による)の所属弁護士会別の分布状況を見ると、多い方は、東京9,248人、大阪2,899人、名古屋973人、横浜790人、福岡県655人、兵庫県471人、京都378人、札幌363人、埼玉353人、一方少ない方は、島根県28人、鳥取県28人、青森県44人、佐賀県444人、福井46人、徳島49人、秋田52人である。この分布状況は医事紛争・医療訴訟の発生数と比例すると推測される。

今後の対策:法曹人口の増加、市民の権利意識の高揚、等の要因によって、医事紛争・医療訴訟が増加することは間違いない。対策としては

  1. 信任義務を果たし、法律を守り、クレームや紛争に対しても法律に従って対処する医療システムの確立がまず必要である。
  2. 次に医療者は、封建社会の様なパターナリズムや馴れ合いの仲間意識によるかばい合いをやめなければ、信任社会が成熟した暁には一般社会から置いてきぼりを食うことになり、さらには社会から排除されることが起こる可能性もあることを認識する。
  3. 最後に、われわれとしても弁護士を仲間に取り入れて、法律を学ぶとともに法的なことは小火のうちに弁護士に任せることである。

 いずれにせよ、司法改革に対しても医療改革同様に大きな関心を持つことが大切であると思う。