平成13年6月25日放送
 第101回日産婦関東連合地方部会学術集会より「EMBと健康診断」
 帝京大学公衆衛生学教授 矢野 栄二

 

<図1>

本日お話しさせていただくタイトルは「Evidence Based Medicine と健康診断」ですが、特に産科・婦人科の先生方のご関心を考え、臨床のEBMに重点を置いて、3つの疑問を取り上げお話ししたいと思います。

 

<図2>

3つの疑問

3つの疑問とは

第一に「Evidence Based Medicine、略称EBMと今までの医療とはどこが違うか」、

第二に「内科などはともかく、産婦人科等外科系でもEBMは可能か」、 

そして最後に、本日のタイトルに即して、「EBMからみた健康診断の有効性」です。

 

まず第1の「EBMと今までの医療との違い」ですが、これは煎じ詰めれば、従来の医学・医療で言っていたEvidenceと、EBMでいうEvidence の違いになります。わが国では、医療上の判断に、ヒトではなくネズミなどを使った実験研究の結果や、作用機序の説明をもってEvidenceとすることがよく見られます。しかしあるクスリをネズミに投与して有効であったというのは、ネズミにとってのEvidenceではあっても、人間にとっての有効性のEvidenceにはなりません。まして実験による作用メカニズムの説明ではまるで不十分です。そこで今日改めて、EBMでEvidenceといいたてるのは、動物実験やメカニズムによる説明ではなく、ヒトにとって、結果として、有効である証拠だ、ということです。

<図3>

EMBでいうEvidenceとは

 それでは、薬や手術、などの医療行為が、ヒトにとって、結果として有効であるということは、どうやって証明されるのでしょうか。

 

それは、ある程度以上の人数の人間集団に実施して、結果をみる必要があります。また、当然ながら比較をする対照が必要です。ある医療行為を実施した集団と、実施しなかった集団を、ほかの点はできるだけ同等にして比較し、実施した方が良かったということを示さなければなりません。それもできればランダムに、治療群と治療しない群に割り付けて、行うべきです。これははっきり言って人体実験ですが、きちんとしたEvidenceを得るためには、これしか方法がないのです。医学の進歩に従い新しい治療法を取り入れるためにも、逆に、有効性がわからない医療を継続する弊害を防ぐためにも、こういう方法を、実験参加者の安全と、権利と、自由意志を尊重しながら、行うしかないのです。

<図4>

AHCPRによるエビデンスの分類

 しかしきちんと手続きを踏んだとしても、こういう実験研究ができる場面は多くありません。そこで、ランダム割り当てではない比較群を使う実験的なデザインもあります。さらに、研究のために意図的に実施するのではなく、普通にある治療を受けた群と受けなかった群を、両者のそのほかの違いを十分吟味しながら比較することもあります。これらはコホート研究や患者対照研究など、分析疫学の手法ですが、どうしてもバイアスが入りやすく、Evidenceとしては弱くなります。なお、実社会ではまだまだ幅を利かしている権威者の意見や、専門家委員会のレポートは、Evidenceとしては一番弱いと考えられます。

 <図5>

EBMの5ステップ

では第二の疑問、産婦人科におけるEBM、つまり内科系と違って、産婦人科では患者の状態が刻々変わり、比較群を置いた研究など時間的にも道義的にもできないから、EBMなど絵空事ではないかという疑問について考えてみましょう。その答えを述べる前に、臨床場面でEBMを実施する、実際の状況を考えて下さい。例えば「分娩中に胎児が仮死の疑いがある。ここで、陣痛抑制剤を使うべきか、否か」。EBMではこの疑問に答えるために、まずこの問題についてこれまでに発表された臨床研究をMedLine等で検索して集める。ついで集めた論文を詳細に検討してその質を吟味し、もっとも確からしそうな論文を選択する。そして、その論文の結論を基礎に、実際の目の前の患者の状況にふさわしい選択をする。という手順になります。しかし、これは結構手間ひまのかかることで、いちいち自分で論文を集めて読むなど、忙しい臨床医にはできないという批判がすぐ浮かびます。

<図6>

The Cochranc Library

そこで、主な臨床判断について、専門団体が、できるだけ広汎に論文を集め、論文の内容の厳密な吟味を系統的に行い、そのレビューを発表する。それも新しい研究を含めて時々見直しを行い、最新で、最良のEvidenceを広く医学界に提供しようという動きが起こってきました。その代表的なものがコクラン共同計画です。理念的にはすばらしい計画ですが、実際は大変な作業で、これまでに発表されたコクランレビューの数は、必ずしも多くありません。最新の数は1081です。従って、コクランレビューには自分の知りたいテーマが取り上げられていない、という批判もあります。しかし実は1081のうちの約3割、308が産科婦人科関係のテーマのレビューなのです。比率的にはかなり多いと思いませんか。先生方にも是非ご覧いただきたいのですが、そこでは驚くほど多くの、比較試験やランダム化比較試験が取り挙げられています。

 

従って、第二の疑問の答えとしては、むしろ産科婦人科はEBMを適用しやすい領域なのではないか、と私は考えています。

<図7> 

コクランンライブラリー

さてここで、実際にコクラン共同計画のレビューを見るにはどうすればよいか申しましょう。インターネットの検索エンジンで、カタカナで「コクラン」と入力すれば、日本のコクランJANCOCのホームページがすぐ見つかります。そこからさらに日本語で読めるコクランレビューのアブストラクトの頁にリンクしていますし、英語では最新のものを読むことができます。また全文を読みたい方は、南江堂から3ヶ月毎に最新版がCD-ROMで入手できます。

最後に第3の疑問、EBMから見て健康診断は有効かどうかについて述べましょう。「手術は成功したが、患者は死んだ」では困るのと同様、健康診断も病気を何人見つけたかだけでは、有効性を判断することはできません。健康診断をやる意味があるのは、病気を見つけるだけでなく、見つけることで病気を治したり、進行を遅らせ、症状を軽快させることができなければ、有効とはいえません。一般の健康診断の目的は、治らない病気を見つけることではありません。健康診断を受けた結果として、死亡率が下がり、病気が減るようにするのが目的です。

ではその目的からみて、健康診断の有効性は証明されているのでしょうか。

<図8>

死亡率

これについてアメリカのカイザー財団で、大規模なランダム化比較試験が行われました。1964年に財団の会員1万人以上を会員番号で割り付け、約5千人は多項目の健康診断を頻回に薦め、別の5千人は自由意志に任せたわけです。その結果、前者は1980年までの16年間におよそ6回健診を受け、後者はわずか1回でした。しかし、その16年間で両群の死亡率には差がなく、病気休業の頻度も同じでした。ただ、高血圧・大腸がんなどの疾患群でだけ死亡率の減少が見られました。この研究を始め、健康診断についての対照群をおいた大規模研究では、いずれも、結果として明らかな有効性を示すものはありませんでした。そこで、米国政府の予防医療研究班は様々なスクリーニング検査について、その有効性をEvidenceの強さでランク付けし、5段階の重みを付けて健康診断に含めるべきか否かの勧告をしています。

<図9>

肝機能検査の特異度と感度

試みにこの勧告を、わが国の法定定期健診項目に当てはめてみました。すると、肝機能検査などほとんどの項目が、実施すべきとするEvidenceを見いだせませんでした。わずかに身長・体重、血圧、コレステロールだけがEvidenceありとして残ったのです。この他にも、多くの事業所健診で尿糖検査を空腹時にしていたり、肝機能検査では肝炎ウイルス感染の半分以上を見落とすなど、わが国の健康診断の仕組みや方法には、多くの問題があります。今後健康診断についても、何のために実施するのかの目的を明確にし、EBMに基づいた評価と改善を行っていくことが必要ではないでしょうか。

<図10>

帝京大学EBMセンター

一昨年、文部省の補助を得て、帝京大学にエビデンス医療センターが作られました。ここはホームページでコクランなどの医学情報への入り口になるとともに、研究活動や帝京大学病院でEBMを実現するための基盤整備を行っています。このような施設が推進力となって、今後わが国でもEBMについての理解が深まり、臨床医学でも予防医学でも、根拠に基づく医療が広がることを期待して、私の話のまとめとさせていただきます。