平成10年11月2日放送

 胎児仮死(ジストレス)の診断・管理

 福島県立医科大学産科婦人科学教室教授 佐藤 章

 胎児仮死、英語では fetal distress といいますが、胎児仮死とは、1976年、日本産科婦人科学会で「胎児・胎盤系における呼吸・循環器不全を主徴とする症候群」と定義しています。しかし、この定義はすばらしいと考えられますが、具体性に欠けています。胎児仮死について世界的に統一した定義はありませんが、欧米では hypoxia (低酸素症)にアシドーシスを伴った状態としています。臨床的に胎児仮死は潜在胎児仮死と顕性胎児仮死とに分けられています。普通胎児仮死といえば顕性胎児仮死をいい、おもに分娩時に起こるものをいいます。一方、潜在胎児仮死とは、胎児胎盤系における呼吸循環不全が予想される状態と定義されており、分娩前おもに妊娠中に起こるもので、とくに把握できるような症状や所見はなく、何らかの負荷あるいは検査によってはじめて胎児仮死の存在が判明するものやその可能性が強いものをいいます。

 胎児仮死の診断には、胎児心拍数監視法、超音波断層法、超音波ドプラ法による血流波形の測定、胎児血液ガス分析、羊水鏡などが用いられています。最近では分娩時に胎児の酸素分圧を連続的に測定するパルスオシキメータによる診断法も欧米では話題になっていますが、現在までのところ日本ではほとんど行われてはおりません。胎児児頭採血や臍帯血穿刺による血液ガス分析による胎児仮死の診断では、pH、酸素分圧、炭酸ガス分圧、塩基欠乏などにより診断します。pHが7.20以下を胎児仮死と診断しますが、最近では、pHが7.00以下を胎児仮死とすべきという意見も多くでています。いずれにせよ、1回の採血だけで診断することは困難であり少なくとも2回以上施行しなければならないことが多く、日本においてはあまり普及しておりません。

 胎児心拍数監視法は現在では広く普及し、分娩時ほとんどの施設で使用されています。胎児心拍数陣痛図による胎児仮死の診断の基準は世界的に統一したものがありませんが、最近の文献からまとめてみますと、遷延一過性徐脈、消失しない持続する遅発一過性徐脈、または一時間以上にわたって起こる子宮収縮の半分以上に出現する遅発一過性徐脈、60bpm未満又は心拍数基線から60bpm以上下降し、60秒以上持続する高度変動一過性徐脈の出現、高度変動一過性徐脈でも心拍数の回復の悪いものあるいは基線細変動が消失している場合、又は、高度変動一過性徐脈が分娩中20回以上出現した場合、そしてサイヌソイダルパターンが出現した場合を胎児仮死の所見としていますが、最近では、胎児心拍数図の波形から、胎児仮死と診断しても元気な子供が生まれることが多いこと、胎児仮死といっても呼吸性アシドーシスの状態なのか代謝性アシドーシスの状態であるのか、または、すでに脳細胞で影響がでている状態であるのか、どの時点での胎児仮死であるのかがわからない場合が多く、不正確で特異的でないことから、最近、米国産科婦人科学会では胎児心拍数図上の波形から胎児仮死を正確に診断できないとし、波形から胎児仮死の診断を直接くだすのではなく、胎児が悪い状態に陥っている波形、又は安心できない波形、英語で non-reassuring pattern という用語を用いるべきとしています。従って胎児仮死の診断には、はっきりとした証拠がなければ、またはあったことがわかるまでは使用しないこととしています。

 それでは胎児仮死の診断はどうすればよいのでしょうか。

 前に述べましたように妊娠中、分娩中に臍帯を穿刺するか分娩中児頭より採血した血液ガス分析によらねばなりません。何回も採血することは臨床上非常に困難ですので、胎児仮死の診断は分娩直後の臍帯血による血液ガス分析によります。pHが7.20以下、塩基欠乏が12nmol/L以上の代謝性アシドーシスを示した場合、重症胎児仮死と診断してよいとしています。従って、胎児仮死の正確な診断は分娩後になることが殆どであるといえます。しかし、代謝性アシドーシスの程度と胎児仮死の程度とは平行しないこと、また胎児仮死がいつ、どの程度続いたかはわからないのが現状です。

 超音波ドプラ法による臍帯動脈血流波形を測定することから胎児仮死を診断する方法が普及してきています。収縮期波形と拡張期波形の基底線からの高さを計測することにより血流の状態を推測する方法です。拡張期血流の減少、消失、逆転は血流の状態が悪いことを示しています。これにより胎児の血流の再分配現象を把握することができるようになったわけです。その他、NST、non-stress test や CST、contraction stress test、超音波断層法による胎動、筋緊張、羊水量の測定をして行う Bio physical profile も妊娠中の潜在胎児仮死の診断に用いられています。ここでは時間の都合上詳細について解説いたしませんが、前に述べたように、正確な胎児仮死の診断はできませんが、これらの方法を使うことによって、その可能性が強く疑うことができることになります。

 従って、胎児仮死の管理は、胎児仮死を強く疑った場合の管理というべきと考えます。胎児仮死を強く疑った場合、現在までのところ、子宮内で胎児を蘇生することが困難であるため、急速遂娩させることが胎児仮死の処置といえます。従って胎児仮死の管理は急速遂娩するまでの処置が重要であるといえます。

 潜在胎児仮死が強く疑われる場合には、まず安静をとらせ、子宮収縮があれば、子宮収縮抑制剤であるβ2-刺激剤リトドリンを投与します。母体に合併症があり、そのため胎児仮死に陥っている可能性がある時は、その疾患の治療をまず行います。母体へ酸素投与もよいと考えられます。これらの処置をしても胎児の状態が改善されないか悪化する場合には、急速遂娩をすべきと考えます。この場合、胎児がすでに肺の成熟ができていれば問題はないのですが、まだ肺の成熟が成立していない妊娠週数が若い場合の管理が問題となります。この場合には、急速遂娩の結果出生してくる低出生体重児の管理はNICUが充実したところでなければなりません。従って、このような場合では、早期にNICUのある施設への母体搬送が重要です。

 分娩時において胎児仮死が強く疑われ、急速遂娩をさせなければならない場合、急速遂娩までの管理としては、まず母体への酸素投与、ついで母胎静脈を確保し、血圧、脈拍と測定します。長時間、仰臥位でいますと、いわゆる母体が仰臥位低血圧症候群に陥っていて血圧が下降している場合もあります。これは、大きくなっている子宮が下大静脈を圧迫しているためであり、従って、母体体位を左側仰臥にさせることもすべきです。子宮収縮剤を投与していたならば、ただちに中止すべきです。また、内診を必ず施行し、臍帯脱出の有無のチェックと分娩進行の程度を把握すると同時に、潜在的に臍帯が下垂している場合もあるので、内診時先進部と挙上させてみるのも一つの方法です。子宮収縮をおさえることと、子宮動脈の血流を増やす目的で、子宮収縮抑制剤であるβ2刺激剤のリトドリン投与もよいと考えられています。最近では、破水後、分娩第一期が遷延し、臍帯圧迫による変動一過性徐脈が頻繁に出現する場合に、子宮内に温生食水を注入し、臍帯圧迫を解除し、胎児仮死になるのを防止する温生食水子宮腔内注入法も試みられています。これらのことを行っても胎児の状態が改善されない場合には急速遂娩にもっていくべきと考えます。急速遂娩術には吸引分娩、鉗子分娩、帝王切開術があります。分娩中、胎児は胎児仮死に陥りやすいため、あらかじめ、急速遂娩の用意をしておくことも大切です。また胎児仮死が強く疑われ、急速遂娩を行った症例では、分娩後、臍帯血を採取し、血液ガス分析を行っておくことも重要と考えられます。