平成10年8月31日放送

日母おぎゃー献金だより

日母産婦人科医会幹事 谷 昭博

皆様には日頃からおぎゃー献金活動にご尽力いただき大変ありがとうございます。鹿児島県大口市の産婦人科医 遠矢博士が、近くに住む重症心身障害児の三姉妹をみて、何とか救済してあげたいと手をつくされましたが、当時一部の軽症者を除いては、重症心身障害児収容の道は固く閉ざされていることを知り、これらの子供たちに少しでも幸福を分け与えたいと考え、健康な赤ちゃんをお産されたお母さんと、それに立ち会った医師や看護婦さんたちが愛の献金をと発案されたれたこの運動が、日母により全国規模のおぎゃー献金活動として組織されてから本年で35年、さらに運動に恒久性を持たせ、基礎を強固にし、よりはばひろい運動を強力に推し進め、あわせて心身障害者にたいする一般国民の関心を一層たかめる目的で、財団法人日母おぎゃー献金基金が設立されてから20年をむかえました。

本日は、7月26日に開催されました第26回おぎゃー献金全国支部担当者連絡会及びおぎゃー献金35周年、日母おぎゃー献金基金設立20周年記念式についてお話いたします。第26回おぎゃー献金全国支部担当者連絡会の冒頭で坂元会長は、この運動に参加いただいている会員は、20%ぐらいであり、残りの80%の会員の方々の協力に担当者の方々が苦労されているはずだが、アインシュタインは1時間美人とすごせば1時間が1分にしか感じないが、熱いストーブの上に座らされれば1時間どころではない長さに感じられる一これが相対性理論である。と語っている。ガンバレ、ガンバレ、協力してくれと言っただけでも運動は継続できない。時にユーモアをまじえながらこの運動の感動を伝えていただきたい。と挨拶されました。

報告事項として日母献金委員会報告が星野委員長から、財団庶務報告が力武財団常務理事から、財団経理報告が松井財団常務理事から、財団法人日母おぎゃー献金基金設立の事情、必要性、さらに今後対応しなければならない問題、特に公益法人の認可・指導に対する閣議決定による役員構成などの今後検討しなければならない項目について薄井財団常務理事からそれぞれ報告されました。

連絡、協議は皆川献金委員の座長のもと進行され、本年度事業推進について、平成10年度事業計画に基づき、日母会員活動、対外活動協力・研究費配分・施設配分・新規事業について説明があり、とくに新規事葉については、おぎゃー献金研究費配分先の研究成果発表として、本年度三重での日母大会での発表機関や運営法について、日母会員に心身障害児施設の状況を理解して協力を仰ぐための「全国心身障書児施設一覧」改訂版の作成状況、一般社会へのおぎゃー献金運動PRの一環としてインターネットに開設する「日母おぎゃー献金ホームページ」の供覧説明が成されました。各支部間の協議では、まず分娩を扱わない施設での「おぎゃー献金運動」の活動について、ロータリー、ライオンズクラブなどへのアプローチ、イベントやゴルフ大会での献金活動、母親学級、乳児検診などで行った際の保健所などでのPR活動などについて具体例や方法論についての意見が出されました。昨年あらたに献金協力がえられた大・中病院の動機については、赴任された医師が献金に熱心であったり、助産婦・看護婦の協力が得られたりした例が報告され、医療従事者の協力の重要性が再確認されました。またこの1年間に新企画として、おぎゃー献金に関するイベントがあった支部での方法・効果についての報告では、若い分娩経験をもつ女性医師の体験談、音楽大学同窓会とのジョイントによる音楽会の開催、イベント時に施設配分されたバスを参加者に見てもらいPRするなどの支出の削減に努力した各支部でのユニークな企画が報告され、貴重な献金の有効利用への担当者の苦労がうかがえました。最後に献金推進への工夫について、若い人にアピールするようなポスター作成をしてはどうか。ローカルテレビ局などのマスメディアをもっと利用して広報活動してはどうか。などの活発な意見交換が成されました。

つづいておぎゃー献金35周年、日母おぎゃー献金基金設立20周年記念式にうつり、まず坂元会長から、「誰の心の中にも、愛らしいものをいとおしみ幸せを願うやさしさが宿っている。多くの人は、それをかたちとして示そうと思いながら、その術を的確に表せないか、説きにはにかみ、そして躊躇している。私たちの周囲にあるのは決して幸せな人々や事柄ばかりではない。運命のわずかなゆきちがいで、弱きものとなり、ハンディキャップを持った生き方を強いられる事実は、現実のものとして明らかに存在している。弱い人々は助け起こさねばならぬ、そしておこしただけでは何ともならぬ、支えてあげなければならぬ。人間を支えるものは、立場の如何にかかわらず、「果敢な勇気」と同時に「愛」と「やさしさ」であるとすれば、先ず「勇気」は助け起こす最初のムーブマンであり、そして「愛」と「やさしさ」は支えの手を延ばす決意であろう。おぎゃー献金は、まさに善意の実現の礎になった。人々は心の底にあるものを「かたち」として見せるきっかけを得たといってもいい。三十五年の歳月は長く、また短くもあった。しかし、南国鹿児島の地にまかれた一粒の麦は今豊かな実りをみせている。愛のてをさしのべられたハンディキャップのある人々が少しでも幸せな時を送れるなら、その事実を知っていただく必要はない。むしろ、それによって、ささやかな貢献をした私たちに、どのような状況にあっても自分の行動哲学のなかの気高さ、誇りを持った生涯を実感させていただけたからである。みんなの心の中に“愛”そのものとなって流れこむ献金という名の奉仕が、永遠の喜びとして咲きつづけることを心から祈念したい。とのべ、おぎゃー献金運動の哲学を説かれました。薄井財団常務理事からおぎゃー献金35年のあゆみとして今までの献金運動活動の歴史が報告され、つづいて各支部から推薦された献金運動に功績があった1901の個人と施設、678の施設職員一同、合わせて2,579の個人と施設および職員一同が表彰され、表彰状、記念品が贈呈されました。

最後に笠間常務理事が、35周年でこの運動が終わるのではなく、これからより一層の協力をしていただくようお願いすると共に、この貴重な運動の心を大切にしてゆきたいとのべ、平成10年、第26回おぎゃー献金全国支部担当者連絡会及びおぎゃー献金35周年、日母おぎゃー献金基金設立20周年記念式が閉じられました。