平成10年8月3日放送

前期破水の有無による妊婦の搬送のタイミング

慶応義塾大学医学部産婦人科教授 吉村 泰典

周産期学の発展とともに、ハイリスク妊娠の母児管理方法が高度化するにつれ、より高次な医療機関へ転院させる母体搬送が定着してきております。歴史的にみますと、母体搬送は、早産にともなう未熟児出生に対する新生児治療を中心として発展してきたシステムであり、当初は分娩が切迫していることが、母体搬送の適応でありました。しかしながら、近年、産科における各種診断法、治療法の高度化にともない、ハイリスク妊娠においては、分娩前の母体管理から高度医療を施し、スムーズに新生児管理に移行する必要性が、新生児科のサイドからも指摘されるようになってまいりました。 

このような背景から、一次医療機関においても母児管理を円滑に進めるために、各種疾患の診断、および治療について十分な理解が要求されるようになってきております。したがって、母体搬送のタイミングについては、個々の一次医療機関と高次医療施設との間の診断・治療法のコンセンサスのうえに決定されるべきものと考えられます。

超未熟児の生存可能な限界は、現在のところ妊娠22週と考えられておりますが、妊娠22週以降まで分娩を延長することが可能であると考えられる妊婦は、積極的に母体搬送を考慮すべきであると思われます。したがって少なくとも妊娠20週以降の切迫流産の症例は、高次医療機関との間の十分な協議が必要となってまいります。

切迫流産や早産妊婦において、分娩時期の予測および治療に関しては、前期破水をともなっているかどうかが最も重要な因子となります。前期破水をともなっている場合には、子宮収縮抑制剤の投与によっても、数十時間の妊娠期間の延長を認めるのみで、多くは数日以内に分娩にいたります。したがって前期破水の診断がなされた場合には、陣痛の有無にかかわらず、ただちにNICUを備えた高次医療施設に母体搬送を考慮すべきであると考えられます。

前期破水が疑われた場合、数日以内の分娩を前提として母体搬送を考慮に入れ、一次医療機関においてまず前期破水の診断を確実かつ迅速に行う必要があります。その診断の原理は、いずれも頸管、腟分泌物の中に羊水成分を認めるかどうかで診断いたします。羊水のpHが弱アルカリ性であり、腟分泌物は酸性であることを利用し、腟内分泌物が弱アルカリ性を呈した場合、破水と診断いたします。

しかし、腟分泌物のpHを上昇させるような腟炎、血液混入などが認められた場合、偽陽性となったり、あるいは羊水が少量の場合、偽陰性を示すことがあるので注意を払う必要があります。

最近では、羊水中のα−フェトプロテイン(AFP)が、母体血中に比べきわめて高濃度であることを利用した前期破水の診断法が開発されております。また、AFPの測定と同様な原理で、羊水中の胎児性フィブロネクチンが高濃度であることを利用した前期破水の診断キットも発売されております。

さらに、超音波断層法で羊水量を測定することにより、間接的に破水を診断することも可能です。いずれにしても前期破水の場合、数日以内の分娩が予測されるため、母体搬送に備えて胎児の推定体重を算出する必要があり、その時同時に羊水量を測定することも肝要です。

このように、前期破水にはいまだ確定的な

診断方法がないため、視診によって直ちに診断可能なものから、種々の検査を用いても診断が困難な場合も認められます。前期破水かどうかの判断は、母体搬送のタイミングの決定のうえでも大変重要な因子であるので、一次医療機関で数種類の前期破水の診断を試み、母体搬送の際には、その診断方法および結果につき、高次医療施設に情報を提供する必要があります。

前期破水の症例に対する治療法についても、いまだ確定的なものがないのが現状です。本邦においては、前期破水の症例に対し子宮収縮抑制剤および予防的抗生物質の投与を行うことが一般的であります。しかし、米国では絨毛羊膜炎が認められた場合には、分娩を考慮するとの考え方が一般的であります。子宮収縮抑制剤は、絨毛羊膜炎の症状の一つである陣痛をかくしてしまうので、前期破水の症例に対しては、expectant managementと申しまして、子宮収縮抑制剤を使用しない経過観察が推奨されております。

近年、本邦においても予防的抗生剤および子宮収縮抑制剤の投与がかえって胎児の感染を助長し、予後を悪化させることも報告されるようになってきております。このように、前期破水症例の管理方針は、高次医療施設によっても異なっているため、前期破水の診断・治療方針について一次医療機関と高次医療施設の間で十分なコンセンサスを得ることが大切であります。

1994年に、早産が予測される母体に、副腎皮質ステロイド剤の投与が望ましいとの勧告が、米国のNIHよりだされました。この勧告によりますと、分娩前のステロイド剤の母体投与が、胎児成熟を促進させ、早産児の死亡率、RDS、脳室内出血の発生頻度を低下させると報告されております。投与時期については、できれば分娩24時間以前が望ましいとされております。

前期破水をともなっている切迫流産および早産の症例では、いかなる治療によっても短時間で分娩にいたる可能性があります。したがって、前期破水の診断がついた時点で、母体搬送を考慮すべきであると思われます。地域によっては、母体搬送の受け入れ先の病院を問い合わせたり、また実際に母体搬送するために時間がかかることも予想されます。このような場合、胎児成熟を促進させることによって新生児の予後を改善させる目的で、前期破水の症例に対しては、診断後ただちに一次医療機関でステロイド剤を投与する必要があるものと思われます。

前期破水をともなわない切迫早産の治療は、子宮収縮抑制剤の投与が原則と考えられます。結果的には、子宮収縮抑制剤の投与無効例が早産となるため、母体搬送のタイミングは、子宮収縮抑制が有効であるか無効であるかによって判定されることになります。

塩酸リトドリンは、有効な子宮収縮抑制剤でありますが、その投与量の増大や投与期間の延長によって、副作用の発生頻度が増加いたします。最も臨床上注意すべき副作用は、急性肺水腫、心不全や肝機能障害です。このような重篤な副作用の発症の可能性を考慮すると、切迫早産の患者の治療においては、塩酸リトドリンの投与量が極量となる以前に、母体搬送を考慮すべきであると思われます。また、分娩が極めて切迫していると考えられる症例では、前期破水の場合と同様に、副腎皮質ステロイド剤を投与すべきであります。

このように切迫流産や早産妊娠の母体搬送のタイミングは、前期破水をともなっているかどうかの診断によって異なります。いずれにしても、一次医療機関と高次医療施設との密接な病診連携による、診断・治療プロセスの共有が必要であると思われます。周産期医療の今後の発展のためには、まず、胎児を中心に考え、一貫した診断や治療を施すことが大切であると思われます。