5.診断・治療とガイドライン

 今回は、診療に関連したトラブルが生じ問題になったときに、ガイドラインがどのように扱われるのか?についてご紹介します。
 術後に肺血栓塞栓症を発症して後遺症が残ったとして訴訟提起された事例を取り上げながら、この問題を考えてみます。

73歳 女性
子宮脱の診断で、膣式手術(手術時間1時間10分)を施行
術後2日目に肺血栓塞栓症を発症
低酸素脳症を原因とする遷延性意識障害と診断
患者側が医療機関に対し、損害賠償請求訴訟を提起

医療事件における「過失」とは?

 肺血栓塞栓症は、重大な手術合併症として産婦人科医の誰もが知るところですが、一方で、その発症を予測し予防することは困難な場合も珍しくありません。この事例のように診療の過程で望ましくないことが起きたとき、どんな場合であっても医師が責任を負うというわけではありません。しかし、医師の「過失」によってその望ましくない結果・損害が生じた、と言うべき場合(過失、因果関係、損害の3要件が揃う場合)は、医師に法的な責任(損害賠償責任)が生じます。
 もっとも、ここでいう「過失」という用語は、注意義務違反とか、予見可能性を前提とする結果回避義務違反などと言い換えられるもので、一般的に用いられるミス・間違い・失敗などの言葉と同義ではありません。やや不正確ですが噛み砕いた説明を試みるとすれば、望ましくない結果(損害)が起きることを予測することもできたし、望ましくない結果が発生しないように対応・注意すべき立場にあったのに、そのような対応・注意をしなかったときに、「過失」があるとされます。そのため、損害の発生を予測できるような状況になかったとか、損害の発生を回避できる状況にないなどの場合には、「過失」は認められません。

過失の有無を分けるのは医療水準

 弁護士や裁判官などの法律家にとって、医療事件は他の事件に比べて難しい点が様々にあるのですが、その中でも「過失」についての判断は最も難しい問題のひとつです。先ほど説明した、損害の発生を予測できたのか?/できなかったのか?や、結果発生を回避できたのか?/できなかったのか?(=注意義務があったのかどうか)という問題について判断しようとする際に、どうしても医学的知見が必要となるためです。
 このとき裁判所は、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」を注意義務の基準とする枠組みに沿って「過失」の有無を判断します。つまり、問題となっている医療行為が「医療水準」に達していないと判断されれば「過失」があり、「医療水準」に達していると判断されれば「過失」がないと判断されます。
 このように「医療水準」は「過失」の有無をわける重要なポイントです(図1)。

図1 医療水準と過失の関係

ガイドラインは重要な証拠として用いられる傾向がある

 もっとも、「医療水準」と言っても、医療機関の規模、設備、医療スタッフのマンパワーなどの医療者側の事情も、病歴や病態などの患者側の事情も様々であり、たとえその専門領域に精通する医師であっても、何が「医療水準」かを評価することが困難な場合が多々あります。たとえば、後方視的には処置Aという望ましい方法があるとしても、刻々とあるいは急激に病態が変化する患者を目の前にしたその場面で、その医師が処置Aを行う判断・選択をしなかったことについて、「医療水準を満たしておらず過失がある」とまでは言えない場合もあるでしょう。
 裁判では、医療に精通しているわけではない裁判官が、そのような難しい作業を担うことになり、患者側と医療側の双方から提出される様々な証拠を頼りに、その事案における「過失」や「医療水準」などについて事後的に判断するほかありません。当事者双方から提出される専門医意見書や裁判所から選任される鑑定医の意見が重要視されますが、その他に重要な証拠として度々用いられるのが、各学会等が公表している診療ガイドライン、診療指針などの文献(以下「ガイドライン」といいます。)です。ガイドラインは、裁判所が医師の「過失」の有無を判断する際の重要なヒントとして頻繁に用いられています。

関連する領域の最新のガイドラインの内容には目配りを

 さて、ここで上の事例を再び見てください。この事例のもとになった裁判例(T地判平成23年12月9日)では、周術期に弾性ストッキングや間欠的空気圧迫法を使用していなかったことについて、診療当時に日本循環器学会等の7学会が参加して作成した肺血栓塞栓症予防に関するガイドラインに反するとして、裁判所は医師の過失を認めました。
 裁判所は、ガイドラインが絶対的なものと考えているわけではなく、様々な事情を総合的に考慮して医療水準について判断をしようと努力しますが、その中でもガイドライン等を重要視する傾向にあること、換言すれば、数ある証拠の中でもガイドラインを非常に信頼できるものと考えているということです。裁判所は、医師がその診療領域に関連するガイドラインの存在と内容を知っているのは当然で、例外的な場合を除いて、ガイドラインに反する診療を行うことは、原則として「医療水準」を満たしているとは言えない、と考えていると言えるでしょう。
 実際の臨床現場でも、ガイドラインで推奨されていることは、いわゆる標準的な医療である場合が多いと思われます。たとえば産婦人科領域であれば、少なくとも「産婦人科診療ガイドライン産科編」や「産婦人科診療ガイドライン婦人科外来編」の最新版の内容には、目配りをしていますか?

ガイドラインの推奨と異なる診療を行う場合にその医学的根拠を説明できるか?

 このように、過失の有無の評価において、ガイドラインは大変重要視されている一方で実際の臨床現場では、ガイドラインの推奨とは異なる医療行為を行うことも時にありますが、その場合に必ずしも「医療水準」を満たさないと判断されるわけではありません。そのような場合には必ず、症例の特異性などの様々な事情からその医療行為を行なった理由があるはずです。そのため、その医学的根拠を合理的に説明することができれば、ガイドラインの推奨に反したことのみをもって医療水準に反するとの評価を受けることはないでしょう。
 逆に言えば、症例の特異性などを考慮せず医学的根拠も希薄なままガイドラインの推奨に漫然と従い、望ましくない結果が生じたような場合には、「過失」ありと判断されることもあり得ます。

求められるのは、真摯に努力し研鑽を続けるという医師として当たり前のこと

 いかなる場合でも、自らの行う医療行為に適切な医学的根拠が必要とされるのは臨床現場にある医師として当然のことであり、裁判所の判断を待つまでもありません。根拠のある適切な医療行為を行っていれば、裁判やトラブルになったとしても、その正しさを立証することができます。
 「裁判で負けないため」の特別な秘策などがあるわけではありません。最新のガイドラインへの目配りを含め、医師として真摯に努力し研鑽を続けながら医学的に根拠のある適切な診療を行うという当たり前のことが、残念ながら望ましくない結果が発生しトラブルになってしまったときにも、自らを助けることとなります。