3.インフォームド・コンセント

はじめに
残念ながら紛争化する事例の背景には、多くの場合、医師・患者間のコミュニケーションエラーがあります。特に問題になることが多いのは、診療方針決定の際におけるいわゆるインフォームド・コンセントの場面ですので、今回はインフォームド・コンセントについて検討していきます。
インフォームド・コンセントは、治療や検査などと同様に、医師による診療の一部です。インフォームド・コンセントは、なぜ重要なのでしょうか?インフォームド・コンセントが不適切だった場合には、どのような問題が生じるのでしょうか?

事例1(宗教上の信念による輸血拒否)
患者X1さんは、肝血管腫でA1病院に入院し、手術を受けることになりました。患者X1さんは、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を、術前に、外科医師Y1に対し明確に表示していました。一方で、外科医師Y1は、ほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていましたが、その方針を患者X1さんに説明しないで手術を施行し、術中に出血量が多かったため輸血をしました。
手術は成功し、術後経過も良好で退院しましたが、輸血をされたことを術後に知った患者X1さんは大きなショックを受け、A1病院と外科医師Y1に対し、輸血に至った経緯の説明と謝罪を求めています。

患者の自己決定権保護と医師の説明義務
事例1では、手術中に輸血をしなければ危険な状況になると医師X1は判断して救命のために輸血をし、その後の経過も良好でした。医師として行うべき医療行為を提供しているのですから、何ら問題がないようにも思われますが、果たしてどうでしょうか?
これに類似する事例(最判平成12年2月29日)で最高裁は、「このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」と判示した上で、本件の事実関係の下では、「医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、患者に対し、病院としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して病院への入院を継続した上、医師らの下で本件手術を受けるか否かを患者自身の意思決定にゆだねるべきであった」と述べて、患者が受けた精神的損害についての慰謝料請求を認めました。
このように、裁判所は、患者が自己の治療方針等について意思決定する権利は、憲法上保護されるべき権利であることを明らかにしました。そして、医療行為そのものに問題はなくとも、従来行われてきた医師から患者へのパターナリスティックな説明では、患者の自己決定権を侵害し、医師が説明義務違反の責任を負う場合があることが明示されました。
医療紛争では、たとえば誤診や手術手技ミスのような医療行為そのものの過失が問われるというイメージをお持ちかと思いますが、このように、医療行為そのものには過失はないけれども、説明義務違反があるとして責任を問われることも珍しくありません。

コミュニケーションエラーと紛争化
下図は、第1審における原告請求の認容率(原告の請求が判決で認められた割合)を、医療関連訴訟とその他の通常訴訟で比較したもので、ゼミナール1でもご紹介しました。
その他の訴訟の認容率が8割を超えるのに対し、医療事件では原告(患者・家族側)の請求が認められる割合が2割程度と明らかに低いのですが、この事象は、医療行為そのものには何ら責任を負うべき事情はないにもかかわらず、紛争化してしまっていることを示唆します。コミュニケーションエラーが発端となって、患者・家族が医療側に不信感を持ち、それが払拭されないまま紛争化してしまった事例が多く含まれていると考えられ、医師・患者間の円滑なコミュニケーションは、紛争化予防のためにも極めて重要です。
正しい医療行為、医学的に正しい説明をすれば、それで足りるわけではありません。ぜひ、日々の医療行為やインフォームド・コンセントにおいて、患者の自己決定権を保護しなければならないことを改めて意識するよう心がけていただきたいと思います。患者が自らの意思で選択するために医師は説明を尽くさなければならない、ということを意識してみるだけで、説明を受ける側の理解力、判断力、考え方などに応じて、説明する内容も言葉の選び方なども自然と変わってくるはずです。

図  第1審における原告請求の認容率:令和3年7月最高裁判所事務総局「裁判の迅速化にかかる検証に関する報告書」より作成

患者本人の意思を確認できない場合にはどうするのか?
患者の意識が清明で、意思疎通に何らの支障もない場合は当然に本人に説明しその意思を確認すればよいのですが、そうでない場合はどうすればよいのでしょうか。臨床では、様々な病態の患者さんを対象としますので、患者本人に説明し意思を確認することが困難な場合も少なくありません。
そのようなときには、近親者等に対し説明することになると思いますが、近親者等から同意が得られたからといって、必ずしも患者の自己決定権が保護されているとは言えない場合もあります。近親者間で意見が異なったり、キーパーソンが不明な場合もありますので、複数名との複数回の面談が必要なこともあるでしょう。近親者等との合意形成をしながら、様々な事情から患者本人の意思を推認するなど、患者の自由な意思を探索すべくあらゆる努力をした上で、最善と思われる治療方針を決定するほかないでしょう。
この点が問題になることが多いのが終末期医療ですが、対応に悩んだ場合には、インターネットでも閲覧できますので、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(平成30年3月・厚生労働省)」を参照してみてください。

事例2(夫の代諾)
患者X2の帝王切開時に胎盤剥離部から出血が持続していました。医師Y2は、術前に患者X2本人には子宮摘出や附属器切除について説明しておらず同意もありませんでしたが、術中に患者X2の夫に対し出血が持続している状況を説明して、夫の同意を得て、子宮全摘と右附属器切除を行いました。
術後に子宮全摘と右附属器切除が行われた事実を知った患者X2は、自己決定権の侵害を理由として医療機関に対し、損害賠償請求をしました。

患者の自由な意思を探索する努力を尽くす
事例2では、全身麻酔で意思を表示することができない本人に代わって夫の承諾を得て手術を行なったものですが、この医師Y2には過失があるでしょうか?手術を開始してみると予定していた術式とは異なる手術が必要となることはときにありますが、どのようなことに注意が必要でしょうか?
事例2と同様の事例において裁判所は、「医療行為がときに患者の生命、身体に重大な侵襲をもたらす危険性を有していることにかんがみれば、患者本人が、自らの自由な意思に基づいて治療を受けるかどうかの最終決定を下すべきであるといわなければならないから、緊急に治療する必要があり、患者本人の判断を求める時間的余裕がない場合や、患者本人に説明してその同意を求めることが相当でない場合など特段の事情が存する場合でない限り、医師が患者本人以外の者の代諾に基づいて治療を行うことは許されない」と判示しました。裁判所は、本人の判断を求めることができる場合には、夫の代諾によって治療を行うことは許されないとしています。なお、この裁判例では、胎盤剥離部から持続的出血があったことについて、時間的余裕がなかったとは言えないという判断を前提としていますが、その危険性・緊急性にかかる判断次第では結論が異なっていた可能性もあります。
本人の状況や緊急性などの具体的事情によっては、本人の意思を確認できず近親者等の代諾のみで治療を行わざるを得ない場合がありますが、やはり、患者の自由な意思を探索する努力を尽くしたか否かが重要なポイントとなります。
このように、患者の自己決定権の保護という視点を持つことが、難しい局面において、ヒントを与えてくれるものと思います。