日産婦医会報(平成12年11月)

女性医師だけのビル診療所を開業して

福岡県金丸ウイメンズクリニック 金丸 みはる


はじめに

 自分たちはあまり特別なことをしたという思いがなかったのに、女性医師五人が集まってビル診療を開始したということで多くの方に注目していただき、その反響に驚いている。本稿では、そのいきさつと現況を述べたいと思う。

きっかけと出会い

 福岡市近郊の救急病院に勤務して、週4回の外来・病棟・手術、そして3日に1回の産直の日々。24時間オープンを建前にしていた病院の方針で、まず眠れない。このままいったら過労死だろうなと思っていた頃、更年期障害に襲われた。まさか自分に? と戸惑う間もなく、1日のうち数回襲ってくるめまいに、歩くのもままならぬ状況になった。
 勿論すぐにHRTを開始したが、何とか仕事ができるというくらいの効果しかなかった。ある日、手術終了直後に転倒、血圧は230に上昇していた。1カ月の産直免除後、またもとのスケジュールに戻った。何度も産直免除をお願いしたが、何も変わらなかった。
 自分の更年期障害を勉強していくうちに、あちらこちらで更年期障害の講演会や勉強会を依頼されるようになっていた。この勉強会に来られていたのが、今回のビル診療を一緒にやることになった女性医師である。勉強会後に突然電話があり、福岡市の中心地である天神でビル診療を始めたいと思っているが、産婦人科の女性医師と助け合っていければと考えているのでぜひ協力してほしいという話。
 メスを置くという一抹の寂しさはあったが、このままでは過労死が待っていると思い、開業を決意したのは開院の六カ月前。その後は通常どおりの勤務を続けながら開業の準備で、まさに眼の回るような日々であった。この間に友達の輪が広がり、同じビル内に5人の女性医師が開業という話に発展していった。
 受付1人、看護婦1人で開院したのは、平成11年11月1日であった(現在は受付、看護婦ともに2人)。

診療科目と連携の実際

 翌1月には皮膚科、一般内科、心療内科、乳腺外科、そして産婦人科と5人の女性医師が全員揃い、同じビル内に薬局も入った。お互いに最初はぎこちなかったが、今は大変お世話になっており、当方への紹介も数多くある。通常の紹介状を持っての来院のほか、受付や看護婦が付き添って来たり、状態によっては医師が付き添うこともある。
 逆に何日も顔を合わせないこともある。あまりベタベタした関係でなく、お互いに役に立つ部分で助け合おうとしているのが良いのかもしれない。周辺の先生方との関係は、勤務医時代に救急患者を引き受けていたことが幸いしてか、今のところスムーズにいっており、分娩、中絶、手術の必要な患者の依頼は問題ない。
 産婦人科一般を診ているが、最初は更年期の人たちが多いのではないかと予想していたが、未婚の人たちの月経異常とSTDが圧倒的に多い。不妊症は近くに知人の女性医師が開業されているので、なるべくそちらの受診を勧めている。

利点と問題点

 女性医師五人が集まってビル診療ということでマスコミが取り上げてくれたこと、同じビル内に有名な美容室やエステ、美容形成、宝石店など、女性にターゲットを絞った店が集合していることなどが、患者が入りやすい要因と思われる。
 産婦人科という看板は却って患者が入りにくくなると思い、あえて出さなかった。ビルの入口にクリニック名が書いてあるだけだが、今のところ問題はないようだ。来院患者の年齢は中学生から80歳代までの多岐にわたる。まだ開業して一年にもならないが、大きな問題もなく、他の先生方も順調な滑り出しと聞いている。何よりも同じビル内に何でも相談できる医師が五人もいる安心感はとても心強い。

今後の抱負

 開業にあたり二つの点に留意した。一つは自分の手に余ると判断したら、早めに大病院へ紹介すること。これは自分で手術をやっていた手前、どうしても患者を手放し難いのではと考えたからだ。もう一つは、患者になるべく苦痛と恥ずかしい思いをさせないこと。このことが産婦人科の敷居を高くしていると常々感じていたからだ。
 女性医師ということで40歳になって初めて勇気を出して子宮がん検査に来院された方、結婚しても痛みのため、うまく性交ができず相談に来られた方たちの喜ぶ姿を見て、こちらが勇気づけられる。内科や小児科のように産婦人科も気軽に行けるように、かかりつけ医になることを目指して開業の一歩を踏み出した。
 今後は5人の医師が更なる女性医師のネットワークを広げて、患者の要望に応えていこうと考えている。思ったよりスムーズな滑り出しだが、あせらずお互い助け合っていきたいと思っている。