平成9年11月10日放送

第38回日本母性衛生学会を終わって

第38回日本母性衛生学会会長 永田 行博

 皆さん、こんばんは。

今日は、先日開催された第38回日本母性衛生学会の模様をご紹介したいと思います。学会は10月16日、17日の二日間に亘って鹿児島市で開催されました。学会のメインテーマには、「女性にやさしい環境」が選ばれ、そのテーマに沿って学会を構成するという方針が取られました。

 初日には、恒例の理事長講演、会長講演のほか、特別講演1題、教育講演5題、スペシヤルレクチャー4題、シンポジウム2題、ワークショップ1題が2会場で平行して行われました。2日目には、一般講演446 題が10会場で実施されました。2日間ともいず

れも熱気溢れる討論が繰り広げられましたが、特筆されるべきは、446 題の一般講演が発表されたということであります。これは日本母性衛生学会始まって以来の最高の発表演題数であり、それに伴い学会参加者も2400名余ということになりました。このように盛況であったことは、この学会が多くの職種の会員から構成されており、医師中心の学会ではなく、産婦人科医、助産婦、保健婦、看護婦、さらに行政も加わって、皆で新しい医療を考えようという時代の趨勢を反映しているものと考えられ、この会の将来の益々の発展を約束するものと思われます。

 さて、学会初日に発表された幾つかの話題を取り上げて見たいと思います。

 特別講演には、現代社会の病根ともいえる少産少子を取り上げ、評論家としてご活躍の東京家政大学教授の樋口恵子さんに「結婚遷延症候群」と題して、少産少子社会の現状を分析し、将来を展望していただきました。少産少子は結婚しない男女が増えたことが根本的な原因です。日本は法定婚主義であり、しかも以前は世界に冠たる皆婚社会で、

女97%、男98% の結婚率でありました。そして結婚適齢期という言葉があるように、結婚年齢は一極集中型でありました。このことは結婚に対する社会的圧力があったということであります。しかし、働く女性が増え、この社会的圧力が低下した現在では、まだまだ男性中心社会の厚い壁の中で、女性のみが犠牲になる結婚を忌避するのは当然かもしれません。このように隣の女性の意識の変化にわれわれ男性がまだ気づいていないことは悲劇かもしれません。また、一卵性親子あるいは親と娘の密着症候群も娘が結婚することを阻害している要因と言えましょう。欧米ではどの年代でも10% 以上の未婚率ですが、30〜40歳の未婚率ではいまや日本がもっとも高いという現実があります。このままでは生涯なりゆき独身症候群が発生することは必定かもしれません。しかし今や、長男・長女しかいない時代であり、従来のわれわれの結婚に対する意識を根本的に変えて、新しい形態の結婚を模索する必要があるといえましょう。

教育講演の5題中2題に、思春期前から思春期にかけての児童虐待と性被害を取り上げました。これは、犯罪の低学年化が最近話題になっていること、また、児童虐待や性被害に関するわれわれの知識が意外と貧弱なことから、興味が持たれました。講演では、児童虐待の多くはその親にも問題があり、親をもサポートすることが重要であることが述べられました。また、乳幼児早期の虐待は死亡率が高く、出産直後の産婦人科入院中に虐待の萌芽を発見することが重要であることが強調されました(大阪府立母子保健総合医療センター小林美智子部長)。

 同様に産婦人科医の役割の重要性は、思春期における性被害でも述べられました。わが国における強姦・強姦未遂の4割は19歳以下の女性が被害者になっています。その被害者は警察には行かなくても、産婦人科に相談する割合は高いのです。その時の、産婦人科医の対応が非常に重要であることが指摘され、医師の何気ない言葉が被害者に大きなダメージを与えます。通常、被害者は表面上は平静を装ってはいますが、躁状態であり、また自責感が強い中での、「あなたにも落ち度があるのでは」式の言葉は、なんら被害者を救済し、自尊心の回復には繋がらないからです(東京医科歯科大学小西聖子助教授)。

 ワークショップ「母と子のコミュニケーション」は、乳幼児虐待や親子の断絶の原因は生後比較的早い時期の育児に問題があるのではないかということから、企画されました。

 鹿児島大学では、生後1〜2週間の母児関係の原点のあり方を模索して、2年半前から母児同室制を導入し、現在では誕生直後から母児同室としております。その結果、体験した母親の8割以上が肯定的に捉えており、それを支援することがわれわれの重要な役割になっております。

 埼玉大学の志村教授はマザリーズ(motherese) の役割・大切さを強調されました。マザリーズとは母親語ともいうべきもので、抑揚が非常に大きいという音声学的な特徴を持っており、幼児への語りかけは母児間の交流には不可欠であります。マザリーズによる語りかけはそれに呼応するように次第に母児間の交流を形成し、児の発達だけではなく、言葉の学習にも大きな意味を持つことが明らかになっています。

 甲南大学の松尾教授は、健全な心の発達のためには生後1年までの「おんぶ」、「抱っこ」、「添い寝」などのスキンシップが大切であり、現代の子供には母親による抱きしめの絶対量が不足していると述べられました。また、思春期前の10歳頃に親の気を引く問題行動を起こしてくるのは、乳幼児期のスキンシップ不足を埋めるかのようで、まさに親子の人間関係作りのやり直しの時でもあるとし、この期を逃さずに子供を抱きしめて、「甘えの感情を満たす」ことが重要であると述べています。

 シンポジウム1は、「これからの助産婦教育」を取り上げました。助産婦教育の場は専門学校から医療短期大学へ、さらに4年制大学へと移行しつつあります。その過程をみると、助産婦教育に携わってきたものとして、どのような助産婦教育を目指しているのかと少々危惧を抱かざるをえません。しかし一方、少産少子・高齢化社会の出現は助産婦の働く場を狭めており、これからは単なる助産ではなく、広く母性を取り扱う方向を目指すものと思われます。その様な過渡期の現状では、その教育方針に違いがあるのは当然ですが、それぞれが助産婦教育をどのように考えているかを討論すことは意味のあることだと思います。

 その結果、実にさまざまなコースがあることがわかりました。1年コースでは従来の各種学校、医療短期大学専攻科、看護4年制大学助産学選択コース、さらに4年制大学+1年助産学専攻があり、そのほかに大学院修士過程2年コース、さらには大学4年間で助産学のみを学ぶ大学ダイレクトエントリーコースなどです。一番の課題は、主流となりつつある看護4年制大学助産学選択コースが、従来の助産婦教育のカリキュラム内容より少ないことや、助産学を専攻する学生数が減少していることに、どのように対応するのかということに尽きるかと思います。私はその討論を聞いていて、助産学をどのように考えているかの理念の違いが大きいこと、しかしまたそれぞれが新しい助産婦像を描いて努力していることから、敢えて今すぐに統一したものにする必要はない、それぞれに特徴があっていいのではないかと思ったしだいでした。

 最後に、シンポジウム2には、「安全な分娩と満足な分娩−その接点−」を取り上げました。昨今、誘発分娩に対する世間の風当たりは厳しく、あたかも不要なことをしているかのような印象を妊婦に与えているように思います。また、出産にも物心両面からのアメニテイーが求められています。私は、「安全な分娩とは何か、満足な分娩とは何か、それらは両立するのか」と大変に欲張ったテーマを提示いたしました。

 「積極的に分娩を管理する立場から」北里大学天野講師は、分娩に伴う母児のリスクは妊娠38〜39週がもっとも少ないことを根拠に、この時期での選択的分娩誘発を無痛分娩下で行っています。分娩誘発率は初産婦55% 、経産婦65% で、全くの自然分娩は21% にすぎません。そして、3万例を越す経験から、妊娠週数の確認と分娩準備状況を勘案して、妊婦のインフォームドコンセントが得られれば、積極的な産科麻酔下の分娩誘発は安全に行い得、満足な分娩に繋がると結論されました。

 日本医科大学進助教授は、「分娩を管理しつつ、自然分娩も重視する立場」から、可能なかぎり経膣自然分娩を目指し、正常妊娠経過をたどる妊婦には陣痛誘発は行わないとしながらも、陣痛誘発が必要であれば躊躇しないとしています。実際、妊婦が大学病院での出産に期待したものは100%の安全な出産であり、また、入院妊婦の70% は合併症を伴うハイリスク妊婦であることから、究極の目標は安全な分娩であり、駆使しうるハイテクを動員し、「さりげない、ぜいたくな分娩」を実施していると述べられました。

 開業産婦人科医の立場から竹村氏は、分娩をめぐる母児の安全が著しく高められてきた現在、より満足のいく分娩が求められているとして、アメニテイーを目指しさまざまな工夫とともに、妊婦自身の胎児管理への参加による主体的な分娩などが示されました。

 そして最後に、「安全な分娩と満足な分娩は両立するのか」という座長の九州大学中野教授の問いかけに、演者全員が「安全な分娩なしには、満足な分娩はありえない」と結論しました。

駆け足で、学会初日の幾つかを述べましたが、一般講演でも真摯な討論が各会場で繰り広げられたことをお知らせし、学会の紹介を終わります。