平成17年10月24日放送
  第46回日本母性衛生学会より
  宮崎大学産婦人科教授 池ノ上 克



 平成17年、10月6日と7日、宮崎市で第46回日本母性衛生学会をお世話させていただきました。遠方にもかかわらず、全国各地から母子保健の仕事に携わっておられる1471名に参加いただきました。この2日間にわたって熱心な討議が行われ、たくさんの成果を残して無事終了することができました。学会運営のためにご協力いただいた地元産婦人科医会の先生方をはじめ、各方面の皆様に厚く御礼申し上げます。
  日本母性衛生学会は、今から46年前、当時の我が国における母体死亡が、先進諸国に比べてあまりにも多いことに、心を痛められた森山豊先生と、松本清一先生のご発案で始まった学会と聞いております。当時母体死亡はもちろん、母子保健に関する事情は極めて悪いものがありましたので、母子保健に関わる様々な職種の人々が集まって、その解決策を模索する学会として発足したものでありました。46年の月日がたち、今日では助産師や看護師の皆さんを始め、産科医や小児科医など、1500人の参加者を数えるまでに大きな学会として成長しました。創設以来、これまで本学会のために努力された先生方のご貢献に心から敬意を表したいと思います。

 さて、我が国の母子保健に関する統計はその後飛躍的に改善され、諸外国に誇れるところにまでになって参りました。しかし、時代の流れにともなう社会の変容とともに、本学会に対する社会からの要求も変化してまいりました。
 例えば、生まれて来る子どもたちの健全な心身の成長こそ、我が国の社会から求められている、最も関心の高い、最近の話題といっても過言ではないと思われます。登校拒否や、すぐ切れてしまう子どもたちに健全な心を育をはぐくむにはどう対応すればよいのでしょうか。 また、児童虐待や育児放棄なども、母親側の大きな問題であります。若い世代の性行動の変化にともなう、性感染症の増加や望まない妊娠の増加なども、むしろ子ども側の問題というより、親になろうとする側の問題としてとらえる必要があります。
 このような心の形成過程に影響する様々な要因について、最近進歩の著しい脳科学の知見を取り入れて、われわれの母子保健のこれからの方向付けに何らかの情報を与えていただきたいと考えました。 教育講演として、自然科学研究機構の鍋倉淳一教授に「脳回路の発達と環境」と題するテーマで、また引き続き東京女子医大の仁志田博司教授に「あたたかい心を育むことの重要性―新生児医療のからの教訓―」としてご講演いただきました。基礎と臨床の立場からそれぞれ有意義なサジェスチョンをいただけたと思います。また、日本福祉大学の杉山章子教授は、「戦後の医療改革とお産の変化」というテーマで、戦後大きく変貌した我が国のお産をめぐる色々な状況を分析され、女性の意識の高まりと精神面をあわせたトータルケアの必要性を助産の視点から教育講演としてお話し下さいました。いずれも母子の心の育成にかかわるお話で、母子の保健に携わるものにとって、これからますます重要になるテーマだと思われます。

 現在の産婦人科医療のなかで、大きな社会問題となっている助産師の仕事のあり方に関するワークショップも開催しました。現在の日本の社会におけるお産の現状に求められる助産師の役割を色々な立場からご検討いただきました。問題解決にむけて、すこしでも役に立つワークショップとして今後、位置付けられればと願っています。
 また、とかく問題の多い、母子関係の形成障害について、「どう支える? 親になりきれない親たち」というシンポジウムテーマを掲げて、児童精神医学や臨床心理学、児童虐待の問題に詳しい専門家などの皆さんに発表をお願いいたしました。 胎児期からすでにはじまると思われる母子間の愛着形成の過程や、女性の生涯発達からみた子どもをはぐくみ育てる力とは何か、また10代の親への支援はどうあるべきか、などについて熱心な討論が行われました。さらに、夫婦間の関係性と家庭のなかの家族システムと、子どもの心の発達への影響などが討議されました。 現代の親が抱える深刻な問題解決の糸口となる新しい学問体系確立の可能性についても提言がなされました。
 また、女性の特性を尊重した医療の必要性が叫ばれていますが、シンポジウムのひとつとして、「性差医療や女性外来の現状と課題」というテーマのもとに発表がおこなわれ、鬱の母親たちへのアプローチ、コメデイカルによる女性の心と体の相談室の現状や課題が話されました。また看護職が果たすべき役割について, 開設から運営に携わる立場からの意見も寄せられました。

 さらにシンポジウムとして、最近の周産期管理で健全な脳の発達の観点から、その重要性が増してきているウイルス感染をとりあげて、「ウイルスと周産期」と題してしてシンポジウムをもちました。 昨年社会的な問題となった、先天性風疹症候群の撲滅をめざして、われわれ医療者に求められる役割などを話し合っていただきました。
 また、新生児ヘルペス母子感染の現状、そしてサイトメガロウイルス感染の胎児治療開始のガイドラインの検討、我が国のHIV妊婦の現状と問題点について、それぞれ専門家の対場からご発表いただき、会場との間にホットなデスカッションが展開されました。
 さらに、最近進歩発展の著しい、NICUの看護の問題点についても、シンポジウムがおこなわれました。特にNICUへ入院した児と家族へのサポートを、産科施設、総合病院のNICU、子ども病院のNICUなど、我が国の現状に立脚してNICU看護の立場から、それぞれ意見が出されました。
 今回の学術集会のねらいのひとつとして国際社会への貢献を掲げました。 我が国では、日本母性衛生学会創立から46年を迎え、母子保健の分野における確固たる成果があげられています。もうそろそろ国際的な視野と立場から、何らかの行動を起こし、アジアオセアニア諸国の一員としての役割を担うべき時期ではなかろうかと思われます。その糸口を求めて現在のアジアオセアニア周産期学会のプレジデントである、台湾のT’sang-Tang Hsieh先生においでいただき、アジアの母子保健の現状をお話いただくとともに、諸外国から寄せられている日本への期待についても解説していただきました。
 また、ワークショップとして、「異文化にお産をまなぶ」を開催し、諸外国の文化とお産との関係を各演者におはなしいただき、お産について相互的な国際理解を深めることにつとめました。
 本学会の前原澄子理事長には、「周産期における各職種間の連携」と題して、理事長講演をしていただきました。今日の母子保健の発展が得られた背景にある、各職種間の連携が我が国ではうまくおこなわれてきた事実をしめされ、今後のさらなる連携の必要性を強調されました。
 会長講演としては、宮崎大学産婦人科で行ってきました産婦人科医の卒後教育の現状を振り返り、宮崎県という地域へのフィードバックを示させていただきました。
 さらに、本学会としては初めての企画でしたが、学会2日目の午後に市民公開講座を開催しました。「若者たちの性が危ないー避妊と性感染症を考えるー」というテーマを選び、 全国から、この分野の一流の講師の方においでいただき、本学会の広報担当委員長の北村邦夫先生と、地元の宮崎日日新聞の報道部長、山口俊郎さんに座長をお願いしました。企画当初は、初めての公開講座ですので、果たして会場にどれだけの聴衆の皆さんが来ていただけるか大変心配でしたが、学会前から地元の宮崎日日新聞をはじめ、メデアによる広報を熱心に展開していただいたおかげで、地元の教育関係者や性教育に関心を持っておられるな方々など約300名の参加者数となり、急遽会場の椅子の数を増やすなど企画した方としては、予想外の嬉しい悲鳴となりました。
 今回、神話の国、日向での学会開催でしたので、地元にちなんだ講演を2題、お願いしました。ひとつは、宮崎県が生んだ、明治の名外交官小村寿太郎の波乱にみちた生涯を、「不撓不屈・人間小村寿太郎」と題して、小村寿太郎記念館館長の水渕昶太郎先生に魅力的にお話しいただきました。また、宮崎県文化財保護審議会会長の甲斐亮典先生には、「神話におけるsexuality」をお話いただき、ご参加の会員の皆様には十分ご満足いただいたようでした。
 以上、現在の学会に期待される社会からの要請に対応すべき問題を中心にプログラムをたてましたが、それぞれの演者および座長の先生方の積極的なご参加と発言をいただき十分な成果を挙げることができたものと、心から感謝いたします。

 さらに、一般演題としても、全国の母性衛生関連の施設から、386題もの多くの演題をおよせいただきました。会場として使用しました、ワールドコンベンションセンターサミットは、幸い同時に10会場以上を余裕を持ってとることができましたので、すべてをオーラルプレゼンテーションとしてご発表いただきまた。看護大学などの学生さんの演題も数多く発表されましたが、指導にあたられた先生方のご努力で年々発表内容のレベルの向上がはかられているようで、これも本学会の発展に極めて重要なことであろうと考えられます。
 最後に、今学会中の懇親パーテイでは、私自身がかつて治療に当たりました、超未熟児で生まれた木下航志君が今では16歳の高校生に成長して音楽活動をしていますが、明るく楽しいみごとなライブコンサートをやってくれました。彼は未熟児網膜症のために今は完全に失明状態ですが、われわれが周産期医療で積み残してしまった彼の光の部分を、お母さとお父さん、ご家族のたゆまぬ努力でみごとにカーバーしてもらい、また航志君に音楽という才能を花開かせていただいた音楽関係者の皆さんのご指導の素晴らしい成果に直接接することができて、会場には感動のひとときが流れました。懇親パーテイに参加の皆様の中にも、その素晴らしさに涙する方もたくさんおられました。医療と福祉と教育が一体となって成し遂げられた成果をみせてもらいました。 周産期医療に先進的役割を果たさなければならない我が国における今後のあらたな光を見出した懇親パーテイでした。