平成17年8月8日放送
  産婦人科医師減少に伴う社会影響について
  社団法人日本産婦人科医会副会長 清川 尚


 7月の23、24日の2日間に亘って本年度の日本産婦人科学会専門医試験が行われました。昨年の合格者は271名で半数以上が女性医師で占められました。今年の受験者は359名で昨年より大分増えましたが 、約7,700人の医師国家試験合格者の5年後の産婦人科専門医が300名位では、わが国の産婦人科医療はますます先細りの感が致します。受験者は男女約半々でした。合格発表は9月になります。病院の医師不足は今や大学公立、私立を含め、全国的問題であり、看過できない状態になっています。医師の人事の多くを大学に依存してい る自治体病院では、特に深刻で、診療科の縮小、閉鎖から病院存立の危機を招いています。大学でも医師不足であり、これは研修医の大学離れと若い医師の開業ブームが主な原因となっています。年間約7,700人の医師国家試験合格者 が誕生しますが、新規開業の医師も平成14年度では4,657人もあり、その結果開業医の年齢層が若くなって、40代後半から50代にかけての年齢層が山を構成し、一方、病院勤務医においては50代が多くなり、49才以下の伸びが少ないという現象が起きています。若手勤務医の開業は西高東低、大都市に集中し、診療科別では全て増えているものの、産婦人科、小児科が減り、内科が圧倒的に増えています。病院離れや開業の動機は勤務医の処遇に対する不満と全ての束縛からの開放と都会志向であります。

 私は昨年の日産婦医会報12月号の羅針盤というコーナーに"]デー・産科医が消える日"という題で書かせていただきましたが、半年を経過した今も益々産婦人科医が減少しています。とくに「お産」を取り扱う若手医師がいません。昨年12月の羅針盤をもう一度読ませていただきますが、全国の卒後15年目以下の若手産婦人科勤務医師を対象とした厚生労働科学研究班の調査によりますと、産科医療をしたくないと感じている医師が27%にも上ることが分かりました。産科診療をしたくないと答えた医師に理由を複数回答で尋ねたとこ ろ、68%が「当直、不規則な診療時間など診療業務の負担が多い」、48%が「医療訴訟が多い」、「産科の技術に自信がない」「産科に興味がない」がそれぞれ9%でした。診療中に医療事故を起こした、起こしそうになった経験があると回答した医師は婦人科で38%だったのに対して、産科は54%と多く回答がありました。研究班の結論では、産科医師の増加のためには産婦人科を志す医師を増やすことも重要だか、安全な産科診療を行うために産科診療システムの充実を図り、産科診療に対する診療意欲、モチベーションを高めることか直近の課題であるとしています。
 国連人口白書に一度低下した出生率を長期にわたって再び高めることに成功した国は歴史上例を見ないとあります。ある人口統計学者は極論ですが西暦3000年には、わが国から日本人が消えていくという仮説を建てました。大和民族がいなくなり、やがてアメリカ合衆国の第何十番目かの州に属し、黒い目をした英語を話せないアメリカンになるのか…。
 医師賠償責任保険料が診療科別に設定されているアメリカでは、産婦人科医の保険料が年間数千万円にも達し、多数の産科医療施設が閉鎖に追いやられています。すでにアメリカのある州では、産科医、脳外科医がいなくなっていると仄聞しています。昨今メスを持たない外科医も多くなっていますが、骨盤位娩出術や鉗子分娩を行わない、あるいは出来ない産科医もいます。伝統ある産科技術の継承と先進医療の創造への挑戦が現代産科医の責務でもあろうが、…と言うような内容でした。
 学会の調査などによりますと、産婦人科医はここ数年志望者が減少傾向にあり、医師の4割以上が60歳以上と高齢化が進んでいます。とくに産科分野で今後の深刻な人手不足が指摘されています。産婦人科医の不足と労働状態は深刻な状況にあり、大規模病院での分娩の集約化や卒後の分娩研修を整備するなどの支援策が必要とされています。
 日本医師会の勤務医のページに掲載された事例を紹介します。地域の中小自治体病院の勤務医か足りない。
足りないというより偏在か?。そのため、勤務医の負担が過重になっている。さて、最近は診療した結果が良くないと、それは医療ミス、または医療事故ではないのかといわれかねない風潮があるような気がしてならない。病気の治りが良くなかったり、悪い結果になると、病気が原因であるのに、医師が悪いからそうなったのではないかというように思い、医師を責める患者さんや家族が多くなったように感じているは私だけであろうか。最新の医療で医師に診てもらい、治療すれば治るものだと信じているのだううか。医療の不確実性という視点が欠落している。そして、医師不足の病院の勤務医は多忙で、医療の不確実性を十分に説明できないでいるのではないか。そこに医事紛争が起こる原因の一つがあるのではないか。これは患者さん医師双方にとって不幸なことである。医師不足から医事紛争になる、といった短絡的なものではないが、勤務医に時間的余裕が不足していることは問題である。医師不足と多忙な勤務医、これを解消する特効薬はありません。
 茨城県医師会長の「私もー言」という記事も紹介します。…私が子供のころ、医師と学校の教師は「先生」と呼ぼれ、社会から尊敬されていたと思う。今、県の職員は県会議員を「先生」と呼び、医師は「さん」と呼ぶ。医師である県会議員も、市長も町長もいなくなってしまった。医師の政治への影響力も票集めも下がってしまった。これらの変化の根底には、国民皆保険制度の功罪が潜んでいると思う。現在の政府のように、市場主義経済社会を目的とする立場からは、社会保障は「悪」である。我々の誰もが、平等に健康を維持し、人が人であることを大切にしようとする「日本医師会」の活動は、彼らにとってほ邪魔に違いないのである。医師なればこそ私たちは「国手・すなわち国の担い手」の立場として、勤務医と開業医が連携してこそ、良い医療ができるのである。勤務医の方々が医師会活動に積極的に参加するか否かは、良心的な医師として生き続ける制度を堅持するために、大変重要だと再認識する次第である。と述べています。

 翻って我々日本産婦人科医会も勤務医の積極的参加を求めていることと一致します。しかし産婦人科医の成り手がいません。日本産婦人科医会勤務医部では委員会の中に産婦人科医師待遇のための小委員会、女性医師のための小委員会、産婦人科専攻医師増加のための小委員会をそれぞれ立ち上げました。まず手始めとして、10月8日に日本産婦人科医会学術集会・近畿プロック大会が大津琵琶湖で開催されますが、このときに近畿ブロック勤務医担当者座談会を開催し、例年の開催地での担当者座談会の要約や実行された提案等も提供し、今後の委員会活動に寄与、反映出来ればと期待しています。2007年は「団塊」の世代が定年を迎えます。2007年は日本社会にとって人口減少が始まる年でもあり、こうした状況で産婦人科医不足で「お産」をする場所が限定されれば、地方に根づいた「お産」という文化が消滅してしまいます。日本企業は1990年代、リストラを先行させ、人材の育成や、年齢・性にとらわれず、だれもが意欲と能力を発揮できる就業環境の整備を後回しにしてきました。だが、団塊の世代が定年を迎えるにあたって、これらの対策の重要性が再認識されつつあります。

 今後、国、企業が何をしなければならないかはだれの目にも明らかであります。問題はそれをいかにスピーディに行っていくかであります。産婦人科医師減少に伴う社会的影響は、正しく日本沈没と言っても過言ではありません。経済を活性化しながら少子化も止める両面作戦が必要だと言うことでありましよう。