平成17年5月9日放送
  日本産科婦人科学会理事長制導入について
    —日本産科婦人科学会理事長を拝命するにあたって−
  社団法人日本産科婦人科学会理事長 武谷 雄二


 日本産科婦人科学会の起源は、1902年に設立された日本婦人科学会と、1915年に発足した産科婦人科医学会(近畿婦人科学会)とが1949年に統合された時点にさかのぼり、爾来、半世紀余にわたり、我国における産科婦人科学の発展ならびに産婦人科医療の向上に中心的役割を果たしてきました。現在、本会の会員数は16000人を越え、医学系学術団体のなかでも枢要な地位を占めており、社会的にも大きな影響力と責任を帯びております。今や、本邦における女性医療や周産期関連の成績が世界の最高水準に達しているのも本会の存在意義が極めて大きいものである事を物語っていると申せましょう。

 この度、幾多の先達が営々と築き上げられた輝かしい伝統と実績を誇る本会の初代理事長を拝命いたしましたことは、身に余る光栄と存じますが、むしろ、私の器量を越えた大役をお引き受けしたのではという不安を覚えているのが偽らざる心境であります。しかしながら、本会の理事として6期12年間本会の運営に携わってきたことにより、人一倍本会の行く末を案じるものとして、非才を顧みず、勇を鼓してお引き受け致しました。

 本学会は、これまで任期が約1年である会長が最高責任者として運営を担当されてきました。1949年初代会長、篠田糺(ただす)名誉教授以降2004年の藤井信吾会長に至るまで56名の会長の先導により、今日に至っております。多くの方々が、短期間ではありますが、学会のリーダーシップをとるということは、さまざまな理念の混交を学会運営に反映し、偏向した路線の選択を回避できるという利点がありました。事実、これまで本会は歴代会長の献身的な御尽力により、順調に発展を遂げてまいりました。しかしながら、昨今、医学・医療領域に大きなうねりが次々と押し寄せ、それに対する対応を誤ると、本会の存立基盤が危殆に瀕することになりかねません。ここに至り、会員の英知を集めた上での最善策を着実に実行するという点で、短期間の舵取りでは難しくなったものと思われます。ただし、実践すべきは良識ある会員の総意であり、執行部の独断でない事は論を待ちません。この意味での“総意”をくみ上げる仕組みを整備することが肝要であります。

 現在、産科婦人科医療は生殖倫理、マンパワーの不足、劣悪な勤務条件、医療訴訟等々、斯道に特有の難題を抱えております。今後、適切な対応を致さぬと、国民に良質な医療を提供するという、本会の究極的使命を果たせなくなる懸念があることは、衆目の一致するところであります。このような大変厳しい時代に直面し、全ての艱難を短期間に解決する妙策は見いだし難いといわざるを得ません。また、これらの問題は日本産科婦人科学会という閉鎖系の中で解決できるものでもありません。社会、関連組織とのオープンな相互啓発的な対話を通じ、はじめて解決可能となるものであります。

 一般に、学会とは同学の士が集い、ひたすら真理を探求する団体といえます。しかしながら、医学系の学会にはさらに別の側面があります。即ち、医学としての純粋な学理追求のみならず、医の倫理や法規、保険・介護・福祉制度など社会との融合や協調が要求されます。また、実際に医師としてのいろいろな面での活躍の機会にも直接影響する専門医の資格を認定する権限も学会に委ねられるようになりました。このため、学会は国民の健康の維持、増進を支えるために、否応なしに、社会的責任を帯びることになり、そして、それを遂行するためのアクションを行使する団体と変貌を遂げざるを得なくなりました。もはや、会員が望む事は公序良俗に反しない限り何をしてもよいというナイーブな活動理念のみではまかり通らなくなりました。会員各位が会員であるというベネフィットとともに、その社会的なミッションも考えて頂きたいと思います。

 翻って、学会の実体とは、会員の方々に醵出いただく年会費を主たる財源としています。本会の会員の年齢構成としてあたかも我国全体のそれと同様逆ピラミッドになっております。このことは、産婦人科医療に関わるマンパワーが縮小すると言う事と同時に、財源も先細りとなることが予想されます。他方、学会の担当する業務はむしろ拡大しております。例えば、倫理に関する問題はここ10年ぐらいに急に浮上してまいりました。加えて、研修カリキュラムの整備やその徹底化、専門医制度の運営の厳正化、国際交流などのためへの支出も漸増しています。このような状況に鑑み、一昨年、中野会長時代に各業務の予算ceilingを設け、その枠内でやりくりすることが提起されましたが、国政と同様、一旦肥大した体制をdownsizeするのは、会員の支持を得るのも容易ではなく、ことの深刻さも広く認識されておりません。これに関しては、各事業の経費を一律に削減すると言うより、医会との連携を強め、両者の業務分担を推進することが、双方の財政事情のためにも追求すべきでしょう。

 本会の運営に関わる執行部のメンバーは、ほとんどが診療や教育の本務についておられる方々であり、ご無理を申し上げ、代議員、理事、監事、幹事などをお引き受けいただいているわけであります。このように、学会の駆動部門は、その運営を本分とされていない篤志家の献身的な御尽力に支えられており、前述の財源と同様、多様化した学会の役割と、それを遂行しうるロジスティクスとの間の不均衡が生じています。学会は何をすべきかという議論と、上述の有限なリソースでどの程度までできるのかという議論を常に調整致さねばなりません。会員が学会に何を望み、また、その実現に会員各位がコミットする決意の程度とのバランスにより、願望の実現化が決定されるということになると思われます。

 現在、産科婦人科診療は、周産期、腫瘍、生殖医療、更に、女性のプライマリケア等に専門分化し、それぞれの領域が独自の専門医制度を立ち上げるという動きもあり、各分野が自立的に機能しつつある様にも見受けられます。また、社会もあらゆる領域で専門医を求めようとしています。しかしながら、産婦人科関連の専門医は共通の横断的な基礎知識や技術が要求されます。このため産婦人科学が包含する領域は、他科と明瞭なすみわけができており、このことが、産婦人科医同志の絆を強め、そのアイデンティティにつながっております。産婦人科学とそのサブスペシャリティとの関係は、産婦人科学の基本を修得したものが、その上にサブスペシャリティを積み上げるものであり、各サブスペシャリティのコアの部分である、産婦人科専門医の役割を強固なものとしないと、各サブスペシャリティ領域もその支持基盤を失い、弱体化してしまうでしょう。従って、産科婦人科学会が求心力を発揮して、各サブスペシャリティ領域と有機的に連携していくということが、質の高い産婦人科医療の提供に結びつくものでしょう。

 専門分野への分化の促進は産科婦人科領域をヘテロな集団にしてしまうという懸念が生じます。このことは、本会員の学会に対する要望も多重的なものとなり、本会の活動の重心をどこにするか悩ましい選択を突きつけられることにもなるでしょう。しかし、既述のごとく、分化した各分野も本会と相互依存関係にあります。各分野が各々の自律性を尊重しつつ、産科婦人科領域があたかも一つの生命体の如く、全体として統合体を形成することが重要であるという認識で、大同団結することが求めらます。

  現在、本会を最も煩わしているのは生殖に関わる倫理であります。一般論として、倫理は時代、歴史、文化、民度などに左右されるものであり、画一的な倫理規範を明示すること、普遍的、絶対的真実を探ることを目的とする学術団体の仕事として、必ずしもなじむものではないでしょう。しかし、安全性を配慮した専門家集団としての見解の提示、各領域にわたる有識者のコンセンサス形成の支援などは学会の責務であり、然るべきプロセスを経て得られた会員の合意事項は遵守すべきでしょう。ただし、倫理に関する問題はあまりに個別的であります。個々の事例は学術団代としての名に恥じない英知と良識を発揮し、そして、何にもまして、会員相互の信義を期待して、対処すべきであると考えます。

 本会と医会とはこれまでつかず離れず、の関係でありました。しかしながら、産婦人科医の減少、高齢化、女性医師や勤務医の増加、診療内容の基準化、医療事故対策と言った両会に共通の問題が出現しております。従来の両会の役割分担の視点で眺めてみるに、学会が医会化し、医会が学会化し、いまや目指すところは、大同小異であります。 また現実に両会を支える執行部や会員もほとんど重複しております。しかしながら、両会とも固有の歴史もあり、組織も確立しており、性急に大胆なshuffleを敢行するのはかえって混乱を起こすでしょう。当面は、役割分担を鮮明化し、機能的には有機的統合体として同一のprinciple で一致団結してことにあたることが必要でしょう。

 繰り返しになりますが、このたび理事長制が採用されたのは、執行部と会員各位の双方向の対話を通じて得られた合意を、機動的ならびに確実に実行に移す事が主な目的であります。そのためには、私共も、会員の方々に問いかけ、会員各位も本会の動静をよく把握され、是非、建設的なご意見を頂きたく存じます。私は、会員各位の高い品性と良識に限りない信頼を置いております。それを支えに、先生方と共に、新しい時代を迎え、本会の新たな航路を見出していく決意であります。皆様方の御助力、御支援を何卒宜しくお願い申しあげます。