平成17年5月2日放送
  第57回日本産婦人科学会会長講演
   手術の基本、質の高さ、洗練度とは?
    —京都大学における子宮頸癌手術の歴史から学ぶ−
  京都大学大学院医学研究科器官外科学・婦人科学産科学  藤井 信吾



 第57回日本産婦人科学会のテーマは、「基本に戻り、質が高く、洗練された産婦人科を築こう」にさせていただきました。このテーマに沿って手術を考えたとき、「手術の基本、質の高さ、洗練度とは?」という問いかけができます。この問いかけにどのように答えるべきかを考えて見たとき、京都大学には子宮頸癌手術の伝統があり、その歴史的な資料が残っていることに気がつきました。そこで、京都大学における子宮頸癌手術の歴史から手術の基本、質の高さ、洗練度を学ぶことにしました。

 京都大学医学部婦人科学産科学教室の基礎を築かれますのは、2代目の教授の高山尚平先生で1906年に着任され、癌の手術に取り組まれます。一方で日本産婦人科学会の創設にも深くかかわっておられ、日本産科婦人科学会が創設される前に高山先生と大阪の緒方正清先生は1899年に関西産科婦人科学会を創設します。しかし、1901年に日本婦人科学会が発足しますと持参金144円2銭をもって日本婦人科学会に合流します。ところがこの日本婦人科学会は第1回から第11回まで東京帝国大学の浜田玄達教授が連続して会長を勤め、その他の役職も在京のものに限った運営をしたため、高山先生と緒方正清先生は行動を起し、1915年に近畿産婦人科学会を発足させました。このことによって日本婦人科学会の会長は一年交代となり、1917年に高山先生が初めて近畿から日本婦人科学会の会長となり、日本婦人科学会は大きく変わることになりました。

 子宮癌の手術に関しては、1911年発表されたWertheim の広汎性腹式子宮全摘術に疑問を持たれ、1917年に日本婦人科学会でウエルトハイム術式を改良した高山術式を発表されます。その後、岡林秀一先生が第3代の京都帝国大学婦人科学産科学教室の教授となり、1921年に高山術式の改良術式を発表します。そして1928年には系統的広汎性子宮全摘出術を発表し、これが日本における子宮頸癌手術の基本術式となりました。その意味では、高山先生は日本における子宮頸癌手術の父とも言うべき方であると思います。

 高山術式を基本とした岡林術式は基靭帯の組織を多く切除することによる根治性の向上、膀胱子宮靭帯の前層と後層の分離・切断によって膣管を意図した高さで切断出来することに特徴があります。今回の会長講演では、1930年頃に岡林先生が執刀された広汎性子宮全摘術のフィルムが残っており、これを供覧いたしました。

 1937年、京都大学医学部事件すなわち患者の特診料問題で岡林教授と内科の松尾巌教授の二人が突然辞任することになり、後任に岡林教授との関係が最も薄い三林隆吉先生が弱冠40歳で第4代の教授に選ばれました。三林先生は1941年に43歳の時、超広汎性子宮全摘出術を名古屋の産婦人科学会で発生映画として発表され、この映画の一部を会長講演で供覧しました。この手術は内腸骨動静脈を結紮・切断して、基靭帯基底部に浸潤した癌を血管もろとも根こそぎ取り除こうというものであります。この術式を発表したとき、岡林前教授始め多くの京都大学関係者から反論が加えられています。そして、1944年4月の日本医事新報に「三林氏の「子宮癌の根治手術」を読みて」という前京都帝国大学教授・岡林秀一先生の三林術式に反対する論文が公表されています。これを要約しますと、「三林氏は岡林術式を十分に理解しないで超広汎全摘出術なる新術式を発表した。岡林術式の真髄に触れていれば、超広汎などという術式を用いないでも十分に基靭帯などに浸潤した癌でも岡林術式で出来るとして自己の術式の正当性を主張し、三林術式の意味はないとしています。そして、三林術式は超広汎性と名づけるよりは、過広汎性術式と考えたい位である。」と述べ、結論として、三林氏の努力には敬意を表するが、新術式とその命名には反対であるとしています。学者は真理の探求に忠実でなければならない。これが生命である。真理を曲げ大言壮語、即ち超広汎性術式、他人の説、即ち岡林術式を否定し、自分の説、即ち三林術式が正しいと主張することは絶対に許されないと述べておられます。しかし、現時点では三林術式は必要な術式であると考えられており、岡林論文は、時代の先を見越して発表した超広汎性術式に対して感情が優先した反論文となっており、本当に残念に思います。

 これに対して三林隆吉先生は「余の「子宮癌根治手術」に対する岡林博士の御所論を駁す」と題して、1944年7月の日本医事新報昭和に反論文を発表しています。三林論文を要約しますと「岡林博士は三林論文を熟読することなく、三林氏は自己の手術である岡林術式の真髄(ことに技術的に)に達していないのではないかという先入観に支配され、論文を誤読され、歪められた仮定のもとで書かれ、科学的に同じ土俵の上での論議を欠いた状態で新術式を否定しているとしています。結論として、「岡林術式の完成者である恩師岡林博士こそは理解していただけると思っていた新術式が理解されないことを知って大変淋しい。」と書かれておられます。

 あれだけ偉大な岡林先生の誤り、これは医療・学問における誤った先入観によるものであり、これが悲劇をもたらしたものと考えます。これは医師として学者として、他人の仕事を理解しょうとする姿勢の大切さを教えてくれているものと考えます。今日の学問の急速な進歩の前では、さらに理解する姿勢の幅を広げることが大切なのだと痛感する次第であります。

 では、私は第8代目の教授として、この重たい歴史を持つ京都大学の中で何をしたら良いのだろうと考えました。そして広汎子宮全摘出術の中で、現在もブラックボックスである、膀胱子宮靭帯前層・後層の解剖に注目しました。会長講演では私自身の広汎子宮全摘術の手術手技を供覧しました。結論は膀胱子宮靭帯の前層には、cervico-vesical vesselsだけが走り、膀胱子宮靭帯後層には深部子宮静脈から膀胱につながる静脈が通常2本、即ち中膀胱静脈と下膀胱静脈があります。これら血管を分離して結紮・切断すると膀胱子宮靭帯後層を切断することが出来ます。このような手術を行いますと広汎子宮全摘出術を終了したとき100グラム台の出血量で終えることができ、すべての症例で微量な出血で広汎子宮全摘出術を終了できることが判明しました。

 こうした経過を踏まえて手術の基本とは、質の高さとは、洗練度とは?ということを考えてみますと、手術の基本は解剖であります。解剖に沿った手術で、出血させないことであります。手術の質の高さとは、丁寧な操作を繰り返して恒常的に安全、安心感を提供することであると考えます。手術における洗練度とは、多角的視野と客観的な心を持ち、難解な手術に対峙したとき難解な状態を易しい形に導いて安全な結果を得ることだと考えます。手術とは戦いであります。病に侵された臓器とその周辺臓器や組織の関係すなわち解剖ですが、これは敵を知ることです、そして自己の技術、勇気、知力、体力を知り、熱き心を持って渾沌に挑むことであると考えます。

 そして、「基本に戻り、質が高く、洗練された産婦人科を築こう」という今回の学会のテーマについて考えてみますと、基本に戻ることは、己の無知さを知ることと考えます、質が高くとは安全・安心の提供でありこのためには教育が重要です、洗練されたとは、自己のためだけではなく、さりげなく他に熱い心と考えます。こうした意識をもって産婦人科という学問と診療を築いて行くことが必要であると考えます。教育的な立場にある人達は、その背中にこのような教育的な言葉を描いて若い人達に示す必要があるし、そうした教育者の姿勢が産婦人科を救うものと信じています。

 あれだけ偉大な岡林先生の誤り、これは医療・学問における誤った先入観によるものであり、これが悲劇をもたらしたものと考えます。これは医師として学者として、他人の仕事を理解しょうとする姿勢の大切さを教えてくれているものと考えます。今日の学問の急速な進歩の前では、さらに理解する姿勢の幅を広げることが大切なのだと痛感する次第であります。

 では、私は第8代目の教授として、この重たい歴史を持つ京都大学の中で何をしたら良いのだろうと考えました。そして広汎子宮全摘出術の中で、現在もブラックボックスである、膀胱子宮靭帯前層・後層の解剖に注目しました。会長講演では私自身の広汎子宮全摘術の手術手技を供覧しました。結論は膀胱子宮靭帯の前層には、cervico-vesical vesselsだけが走り、膀胱子宮靭帯後層には深部子宮静脈から膀胱につながる静脈が通常2本、即ち中膀胱静脈と下膀胱静脈があります。これら血管を分離して結紮・切断すると膀胱子宮靭帯後層を切断することが出来ます。このような手術を行いますと広汎子宮全摘出術を終了したとき100グラム台の出血量で終えることができ、すべての症例で微量な出血で広汎子宮全摘出術を終了できることが判明しました。

 こうした経過を踏まえて手術の基本とは、質の高さとは、洗練度とは?ということを考えてみますと、手術の基本は解剖であります。解剖に沿った手術で、出血させないことであります。手術の質の高さとは、丁寧な操作を繰り返して恒常的に安全、安心感を提供することであると考えます。手術における洗練度とは、多角的視野と客観的な心を持ち、難解な手術に対峙したとき難解な状態を易しい形に導いて安全な結果を得ることだと考えます。手術とは戦いであります。病に侵された臓器とその周辺臓器や組織の関係すなわち解剖ですが、これは敵を知ることです、そして自己の技術、勇気、知力、体力を知り、熱き心を持って渾沌に挑むことであると考えます。

 そして、「基本に戻り、質が高く、洗練された産婦人科を築こう」という今回の学会のテーマについて考えてみますと、基本に戻ることは、己の無知さを知ることと考えます、質が高くとは安全・安心の提供でありこのためには教育が重要です、洗練されたとは、自己のためだけではなく、さりげなく他に熱い心と考えます。こうした意識をもって産婦人科という学問と診療を築いて行くことが必要であると考えます。教育的な立場にある人達は、その背中にこのような教育的な言葉を描いて若い人達に示す必要があるし、そうした教育者の姿勢が産婦人科を救うものと信じています。