平成15年7月21日放送
 医師・歯科医師の行政処分について
 日本産婦人科医会常務理事 川端 正清
 医療事故の訴訟件数は増加の一途をたどっています。医療事故のリピーター問題は平成13年末ころよりマクコミに取り上げられ、リピーター医師に対して行政処分を求める動きが活発化しました。
 このような社会の要請を背景に、昨年、平成14年12月13日、厚生労働省医道審議会分科会は「医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について」の見解を表明しました(医会報平成15年4月号医事紛争シリーズ参照)。既にご存じかと思いますが、医道審議会は医師法に規定されており、厚生労働大臣の諮問機関として行政処分を提言する所です。今までの処分内容を見ますと、刑事事件で有罪となった医師・歯科医師に対して行政処分がなされ、免許剥奪から医業停止まであります。内訳はわいせつ罪などの破廉恥罪、覚醒剤、贈収賄、脱税や診療報酬不正請求、などが主なものでした。
 今回の「医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について」の見解では、「刑事事件とならなかった医療過誤についても、医療の水準などに照らして、明白な注意義務違反が認められる場合などについては、処分の対象として取り扱う」、「応招義務や診療録に真実を記載する義務など、職業倫理として遵守することが当然に求められている義務を含む。」とし、行政処分の程度は「基本的には司法処分の量刑などを参考に決定するが、明らかな過失による医療過誤や繰り返し行われた過失など、通常求められる注意義務が欠けているという事案については、重めの処分とする。」、「生涯学習に努めていたかなどの事項も考慮する。」として、研修の必要性を強調しています。その他、生命を預かる医師として高い倫理性を求め、「ひき逃げ事件」や「医療における脱税」には「通常より重めの処分とする」としています。
 また、民事訴訟で解決した後でも患者から医師の行政処分を請求できるとしています。
 今回の見解の背景には、明らかに重大な医療過誤を起こしても、また医療過誤のリピーターであっても、民事訴訟で示談・敗訴の場合、医師賠償責任保険を使って損害賠償を支払えば、公表もされず、行政処分も科せられず、通常業務ができること、また、このようなシステムがリピータの温床となっていることに対する患者(被害者)の強い不満とマスコミの報道があります。
 ただし、医療事故・医事紛争の多い診療科である産婦人科としては、その運用によっては崩壊に繋がりかねないと危機感を覚えています。従来処分されていた刑事事件、医療費の不正請求、医療法医師法に抵触する場合や、重大で100%近い過失、同じ医療行為によるリピーターに対する処分等に限定されるべきと考えます。刑事裁判にならない民事裁判では、医療事故の責任は明白でなく、即ち100%黒、100%白ではなく、灰色の部分が大部分です。また、ただ、リピーターであることを理由に処分するのは危険です。事故の、ひとつひとつをよく検討した上で、処分に価するリピーターかどうか判断する必要があります。
 また、医療行為は医療契約の上で実施されます。医事裁判では債務不履行責任と不法行為責任の有無が問われます。医療契約とは病状の改善を目指し診療当時の医療水準に応じて最適な医療を行う債務を負っているのであって、結果責任(結果債務)を負っているのではありません。従って、医療の行為に債務不履行があったか否かの判断は難しい場合が多いわけです(グレイゾーン)。この債務不履行がなかったことは医療側が実証しなければなりません。一方、不法行為責任は加害者(医療側)の「故意あるいは過失」を、被害者(患者側)が立証しなければなりません。いずれにしてもその立証は困難な場合が多く、医事裁判は長期化します。多くは裁判の過程で示談和解が提示されます。医療側はある程度の非を認め和解に応じ、相応の賠償をして解決されます。
 分娩は不明の部分が有り、不明の部分は医師の責任とされる傾向にあります。
 たとえば、新生児脳性麻痺の判例には、その発生要因に関する研究から分娩に帰因するものが15%前後であると世界的に認められていますが、脳性麻痺訴訟の70〜80%が医師敗訴であるわが国の裁判に於ける現状から、判断が正確に、不明は不明として、真実に基づいてなされたかという疑問が残ります。このような判決がなされるのなら、争っても仕方がないと考え、さらに原告・被告双方の労力を考え、裁判で争うことなく示談・和解となります。 従って民事訴訟に於ける判決をそのまま行政処分に結びつけることには、大変危惧を感じています。
 しかしながら、民事裁判で和解解決された事案についても患者側の報復手段として医道審議会にかけられる可能性がでてきた以上、行政処分を免れるために、医療側は裁判で勝訴まで戦わなければならなくなるでしょう。
 この労力は図り知れず、医師賠償責任制度(和解示談についても保障)の存在すらかすれてしまいます。
 従って、重大で100%近い過失や、リピーターの処分は止む得ないとしても、民事裁判で過失が認定された通常裁判事例は(グレイゾーン)が多いわけで、これら全てを対象とすることは問題です。
 特に産科はリスクの高い診療科です。産婦人科の医師数は全医師数の6%ですが、医療事故裁判件数は平成13年度では12.8%を占め、医師賠償責任保険の約1/3を占めると言われています。医療事故の起こる頻度は、診療科によって極端な差があります。これは、各科の医師の能力に差があるというよりも、その診療内容が大きく関係しています。産科では他科に比べ医療事故が多く発生しますが、ほとんど同じ医師が関与する産科と婦人科を比べても、婦人科よりも圧倒的に産科で医事紛争が多く発生します。このため、産科に"リピーター"と称される医師が集中しやすくなります。
 全国の妊産婦死亡は昭和25年には4000人以上あったのが、最近では約70人台まで減少し、先進国の中でも決して引けを取りません。新生児死亡も激減し、世界でトップレベルにあります。どのようなデータを用いても日本の産科医療が全体として高いレベルにあるにも関わらず、医事紛争は増える一方です。医療事故とされるものの多くは、すべての産科医が起こしかねないものであり、100%の防止は不可能です。すでに産婦人科医師になることを希望する医学生が減少していることや産婦人科医師でも産科をやめて婦人科だけを行う医師が増加していることに、この産科に医事紛争が多いことが関係しています。産科に携わる医師の多くは、"リピーター"と称されて、医師として抹殺されるリスクを感じています。どの科においても、すぐれた医師とそうでない医師が存在することは否定できませんが、特定の科だけにおいて無能医師の烙印が押されるとすれば、その科に進む医師の減少は止まりません。医療事故と称されるものの頻度が異なるという各診療科の事情を配慮した冷静な対応が望まれます。
 また、ある医療行為がその時点では正論と位置づけられても、後にまったく意味がないとされることもあり、そのことを元に行政処分を医師に押し付けたなら、将来その時点での定説が覆させられた場合に、誰が責任を負うのでしょうか?という疑問が残ります。ですから行政処分をするにも医療上の仮説、論理の解釈の相違や結果論に基づく事例は追及されるべきではなく、医療者の怠慢に起因する事故だけに限定されるべきでしょう。
 このような状況から、日本産婦人科医会として要望書を5月13日付けで医道審議会に提出し、その討議・運用には慎重を期すよう要望しました。
 今後は、産科医療のリスクを妊産婦のみならず一般に広く訴えていくと同時に、医事訴訟でも適切な診療の結果起きた医療事故については、患者・医師双方の負担を考慮した安易な妥協はせずに、あくまで無責を追求する姿勢が必要となりましょう。一方、産婦人科医も研修・研鑽に努めると共に、医療過誤のリピータに対する自浄作用が要求されます。
 産婦人科リピーターが産婦人科医療の信頼性を損なってきたことは否めません。個々の事例をよく検討し、重大で明らかな医療過誤や非良心的な、技術も十分でなく、怠慢であるために起きる医療事故のリピーターには、研修・指導を強化し、日本産婦人科医の団体として自浄作用を発揮することが必要で、このことにより信頼できる産婦人科医療を構築し、もって国民の福祉に貢献することが必要と考えます。
 最後に、最近の関連した動きを簡単にご紹介しますと、6月6日「医療事故防止議員連盟」が設立されました。6月24日には医道審議会への提訴は24件に達しています。7月1日には厚労省医事課に「医師資質向上対策室」が設置され、これは患者等からの医道審議会への提訴窓口となります。また、7月下旬には昨年12月の「行政処分に関する見解」発表後、初めての医道審議会が開かれます。その、審議内容に注目したいと思います。