平成15年5月12日放送
 第55回日本産科婦人科学会-会長講演から
 九州大学大学院医学研究院生殖病態生理学教授 中野 仁雄


第55回日本産科婦人科学会学術集会
会長講演 「展望-産婦人科医療」講演要旨

 

 産婦人科の保健・医療もまた社会のニーズが動機となる。これに見合うサービスをどのように提供するかが課題であり、ニーズとともに質と量によって規定される。今日は、安全と快適が共に求められ、この意味では高い水準での保健・医療サービスが必要な時代である。サービスに必須の要素はヒト、カネ、モノであり、互いに関連してそのレベルが決まる。この中で、産婦人科医師不足の現状が浮き彫りになる。ことに、若手医師の確保が大変に困難な時代を過ごしており、それだけで独立した緊急の課題にもなっている。

 適正な医師の配置とはなにかを考えるためには解析に耐えるデータが必要である。しかし、残念ながら全国規模の資料を直ちに整えられる現状ではない。そこで、これに代わるものとして、九大産婦人科教室において演者が教室を主宰した20年間、290名の人材確保と育成の総括をデータとして採用、これにより若手医師の欠乏の現状を評価した。

 人材ニーズは、教学組織としての九州大学が必要とする教官、大学院生、附属病院における医員、研修医から各地域の公的病院、あるいは開業医の全てに亘る。その結果、充足率は68.4%ということになる。言い換えれば、10名定員に対して7名、5名に3名から4名、3名に2名、2名なら1名と病院の規模によって異なるが、安全と快適、さらには労働条件などの要素に照らして、もはや成り立たない保健・医療サービスをやむなく、忍びつつ、専ら奉仕の精神に頼って運営されているのが産婦人科医療サービスの現況ではあるまいか。

 医師総数等を年次推移としてみると、年次推移の特徴は単調増加、直線的増加である。これに対して産婦人科医師数は安定そのもので、少なくとも増加の傾向は見られない。安定した医師数というなかに年齢層とその構成に際だった特徴を有するのが産婦人科の特徴である。日産婦学会、あり方検討委員会報告(1995年)の改変をでは、1988年と1993年の調査成績を表し、これをもとに1998年と2003年を予測したものである。1988年では61歳から65歳にあったピークが5年後は66歳から70歳にシフトした。この傾向に準じて予測すると、71歳以上へとシフトし続けるであろう、というものである。そのとおりになるのはいかにも避けるべきであるとして、報告書に提案された1995年度版アクションプランを実施してきたはずの日産婦学会であったが、2003年を実数でスキャンしたところ予測値となんら異なるものではなかった。ふたつのことがここで指摘される。ひとつは産婦人科医師数は不変といえども、期待される労働力の総和は確実に減少しているということ、依ってきたる所以は若手人材の確保困難な状況にあり、併せてこの7から8年間の医師確保へ向けての努力は実効をもたらしていないということである。

 ここで、周産期医療をモデルにして考察を試みる。医師数が増加する場合、これは順回転である。すなわち、施設の要員充足から切り込んでみると、安全と快適サービスが当然向上するし、施設の評価が上がる。労務負荷は相対的に、あるいは絶対的に低減して人材リクルートの道が開ける。一方、人件費は高騰する。これは施設債務超過になりかねない。他方では、研究開発強化により新市場創造という産婦人科拡大の道に繋がることになるであろう。これに対して逆回転の場合はその逆方向である。医師不足。サービスの下降、施設評価低下、医事紛争の増加、リクルート困難、労務負荷重増、研究開発の劣化、市場減少、不人気、医師減少。ベクトルをもって展開するダイナミック・モデルとして捉えられるべき問題であり、戦略的な取り組みが必要な課題なのである。現状は、下段に示す逆回転を描いているのではないだろうか。ここにあって留意すべきことは、即効性のある処方が描かれたとして、果たしてそれが縮小均衡に向かうものではないのかの一点であろう。特に、学術団体としての日産婦学会の責任と絡めて考えるなら、研究開発劣化が将来に禍根を残す最大のものではないだろうか。新市場を開発するという他医学領域との競合の中で如何に責任を果たすべきかに関心を寄せる。

 学会のあり方検討委員会報告(2003年)によると、産婦人科医療体制の整備についての提案がなされている。ことに、産婦人科女性医師の増加に伴い、適正な就業環境とはなにかを考え、実行に移さなければならない。

 アクションプランを考えるにあたり討論の舞台を整理すると、学会のあり方検討委員会、医会の勤務医部会、そして厚労省研究班の活動がある。2002年4月からスタートした鴨下班は坂口厚労大臣の肝煎りで小児科医師・産婦人科医師の不足を前提とした若手医師の確保ならびに育成に関する研究班である。これを表の動きとして産婦人科の医師が少ないという社会認知につなげる意義は大きい。具体の行動として、解析に耐えるデータベースを構築すること。これにはたとえば学会・医会ジョイントで評価情報開発室などの設置はいかがであろうか。有効でかつ、縮小均衡に終わらない即効薬が見つかるとは思えず、戦略的には短期バージョンとともに中期目標・中期計画を少なくとも5年のスパンを有するものとして講じる必要があろう。その結実はといえば、必修化研修、専門医研修が終了する5年以上の期間を経てのことなのである。若手医師を確保するための戦術として、彼らのにらみの方向を窺うなら、たしかに前述のような多要素多面にわたる環境の整備は重要なことである。それは短期的効果が期待できる即効型処方箋ということもできよう。しかし、真に有為の若者が心を動かすかというとそこには一抹の不安を拭えない。それは学問への関心である。駆り立てる情熱の方向付けである。これこそが免れ得ぬ学会の責務というべきである。ヘルスケア医科学、基礎医科学、基礎臨床結合型医科学、文理融合型医科学創設、そしてサブスペシャルティーの基盤化とさらに尽くすべき努力が控えている。かくして、他の医学学術領域と競い合う真の実力を発信し、新たな魅力に満ちた学術団体に育て上げる努力が従前以上に振る舞われる必要がある。

 締めくくるにあたって思いつくままにさらなる提案をしたい。

 「学会は、研究者が集団を為し、自由競争の原理により、志高く自己啓発を行う場である。その目標はユニバーサル・スタンダードにあり、その動機は科学への限りない礼賛にある」、とすると、「産婦人科医会の事業として、医療の標準化、医師の生涯教育、社会へのアカウンタビリティー、そして行政政策活動が実施される」との条件のもとで学会が進むことのできるオプションとして、「均質等価の構成員による、資金と事業規模が厳選縮小された、とぎすまされた高度の学術研究集団」へと変革する道が見えてくるのではないか。無論のこと、その是非は別問題である。しかし、単純化モデルとして作業仮説に据える程度の意義を見出すものではある。

 

参考文献

  1. 母子保健の主なる統計─平成13年度刊行─厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課監修
  2. 母子保健の主なる統計─平成14年度刊行─財団法人母子衛生研究会編集
  3. 「学会のあり方検討委員会」報告(わが国の産婦人科医療に関する検討). 日産婦誌. 47(7): 677-684, 1995
  4. 社団法人日本産科婦人科学会理事会内委員会 学会のあり方検討委員会平成14年度活動報告(案). 日産婦誌(印刷中)
  5. 産婦人科新入局医局員増加のためのアンケート調査報告. 日本産婦人科医会. 平成14年3月
  6. わが国の母子保健 平成13年度.  厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課監修
  7. わが国の母子保健 平成15年.  財団法人母子衛生研究会編集