平成15年4月7日放送
 日本人における遺伝子調査のための「全胞状奇胎」検査収集のお願い
 九州大学生態防衛医学研究所教授 和氣 徳夫


 このたび、ラジオたんぱ「日産婦医会アワー」に出演する機会をお与えいただきました、日産婦医会 会長 坂元正一先生、並びに役員の皆様に深く感謝申し上げます。

 私たち九州大学医学部、並びに生体防御医学研究所産婦人科は、日本産婦人科医会と共同で「21世紀型革新的先端ライフサイエンス開発プロジェクト−MP21」を推進する事になりました。本日は、この共同研究の内容について皆様方に説明をし、さらに本研究への参画のお願いを致したく思っております。

 ヒトの場合、約3万個の遺伝子が働き、生命が維持されていますが、その本体はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)と言う4種類の塩基から構成されているDNAという物質です。DNAの99.9%は個体間で全く同一ですが、残り約0.1%は異なり、様々な個体差を形成する原因になっています。これをDNA多型と呼んでいます。このようなDNA多型を用いて、現在、親子鑑定などが行われています。多型の中には塩基の種類が1つだけ異なる一塩基多型(Single nucleotide polymorphism:SNP)というものがあります。約1900塩基毎に1個の割合でSNPが存在します。SNPは単独では遺伝子の機能にさほど大きな影響を与えることはありません。しかし、複数の遺伝子上に存在するSNPが、特定の組合せを取った場合、疾患感受性或いは薬剤感受性に関与する複数の遺伝子活性に大きな影響を与え、易罹患性や薬剤に対する過剰反応の原因になっていることが近年明らかにされつつあります。SNPはその種類、頻度、組合せともに、民族間で大きな差が存在します。今回、日本産科婦人科医会に共同研究として御採択いただいたMP-21という研究プロジェクトは、疾患感受性或いは薬剤感受性に関与する、日本人に特有なSNPの組合せを同定しようとするものです。

 皆様も同様と思いますが、産婦人科臨床医としての長年の経験を振りかえりますと、どうしても不可解な、説明のつかない、いくつかの忌まわしい体験が思い出されます。通常使用量の薬剤に対する母体や新生児の過剰反応、これらは特に重篤な障害をもたらしたこともありました。さらには原因不明の胎児死亡、同じく原因のわからない胎児・新生児の異常などです。これらの悲劇の原因とされる遺伝子異常が、ごく一部の症例で解明されたものの、大多数は未だ原因不明のままです。原因がわからないために、患者への充分な説明が出来ず、患者の不信をあおり、医療の現場は混乱し、医師・患者間の意志疎通の欠除を原因とする無用なトラブルに発展することもありました。今回、日本産婦人科医会にMP-21を共同研究として御採択いただいた最も大きな理由は、現状では不可解としかいいようのない母子間における疾患の発生を予防し、個々人の薬剤感受性の差異を基盤とした適切な治療法を構築することを、本研究が目的としているためであります。

 MP-21は、日本人に特有なSNPの組合せを明らかにしようとするものですが、この目的のためには胞状奇胎DNAが極めて有効です。胞状奇胎は、ゲノムを欠除する卵子に1個或いは2個の精子が受精する雄核発生を原因とします。前者を1精子受精・雄核発生奇胎と呼んでおりますが、胞状奇胎の約90%を占めると推定されています。残りは2精子受精・雄核発生奇胎です。1精子受精・雄核発生奇胎はゲノム欠損卵に精子が受精し、その後、染色体数の倍加が生じることで2倍性を獲得します。このため、全ての遺伝子は、父親に由来し、かつホモ接合性を示すことになります。このため、1精子受精・雄核発生奇胎からDNAを抽出し、そのDNA上に存在するSNPの種類を調べることにより、ハプロイド当たりのSNPの組合せが判明することになります。MP-21では約250例の1精子受精・雄核発生を原因とする胞状奇胎DNAを用いて、日本人に特有なSNPの組合せを集積する予定です。さらに、これらSNP組合せが、特定の薬剤に対し異常反応を示す患者集団DNA、或いは易疾患罹患性を示す患者集団DNAに存在するか否かを解析することにより、疾患さらには薬剤感受性に関与する、日本人に特有なSNP組合せが判明します。おおよそ250例の日本人のSNP組合せを集積すれば、MP-21の目的は達成できると考えております。

 胞状奇胎には、部分奇胎などの形態学的類似性を示す疾患が存在し、確定診断に苦慮することも、しばしば経験するところです。さらに経膣超音波等を用いた診断法の進歩により、胞状奇胎の診断時期が早期化している傾向にあります。このため様々な教科書に記載されている臨床病理学的所見に合致する、典型的な胞状奇胎例は次第に減少し、診断確定を困難にしているのが現状です。MP-21研究では、本研究の主旨にご賛同いただき、搬送いただいた胞状奇胎サンプルについて、DNA診断及び臨床病理学的診断の両方を同時に行うことにしています。DNA診断を詳細に施行することにより、3倍体妊娠を原因とする部分奇胎ではないことを先ず確認します。さらに同時に採取した患者DNAを胞状奇胎DNAと比較することにより、胞状奇胎が患者DNAを全く保有しない、雄核発生を原因とすることを確認します。その後で、8遺伝子座以上の多型情報を基に1精子受精或いは2精子受精・雄核発生の鑑別診断を行う事になります。一方、別の研究者により胞状奇胎サンプルの臨床病理学的解析が詳細に進められ、DNA診断結果と対比されます。これらのDNA診断結果及び臨床病理診断結果を総合し、MP-21研究目的に合致する胞状奇胎DNAを選択し、SNP組合せを解析することになります。MP-21研究の主旨にご賛同いただき、胞状奇胎サンプルを御送付いただいた場合は、DNA及び臨床病理学的診断結果を、私たちが責任をもって先生方にご報告することになっております。

 遺伝子の研究結果は、様々な社会的問題を引き起こす可能性があるため、他の人に漏れないように、取り扱いを慎重に行う必要があります。このため、MP-21研究計画書を九州大学医学部ヒトゲノム・遺伝子解析倫理委員会に提出し、慎重な討議と様々な助言をいただき、研究遂行の承認を得ました。胞状奇胎組織及び患者の血液や診療情報は、DNA解析を行う前に診療録や資料の整理簿から住所、氏名、生年月日などを削り、代わりに新しい符号を付けます。患者と、この符号を結びつける対応表は、九州大学生体防御医学研究所附属病院個人識別情報管理者が厳重に保管します。このようにすることにより胞状奇胎の遺伝子解析結果は、解析を行う研究者にも、誰の情報かわからなくなります。ただし、遺伝子解析結果について、患者に説明する必要が生じた場合には、個人識別情報管理者のもとで、符号を元の氏名に戻す操作が行いうる、連結可能匿名化という手順を踏み、結果を患者に知らせることが可能です。

 このような規制のもとにMP-21研究は推進されますので、患者個人の研究協力への同意が必要です。私たちが作成しました、遺伝子解析研究についての説明書を患者さんに読んでいただき、MP-21研究への協力の同意文書にサインをしていただき、さらに胞状奇胎サンプル提供に対する「医療機関の責任者」の承諾書を併せて御送付いただくという手順が必要・不可欠です。

 日本産婦人科医会の会員の皆様方には、是非とも21世紀における新しい母子医療の創造を目的としたMP-21研究にご理解をいただき、本研究プロジェクトへの積極的なご支援をいただけますよう伏してお願い申し上げます。日本産婦人科医会報の2月号に詳細な手順を御掲載いただきました。電話或いはFAXをいただくだけで、全てが自動的に作動する体制が確立しております。胞状奇胎の手術が決定した際、或いは手術後、胞状奇胎が疑われた場合には、是非ともお電話あるいはFAXでご連絡いただけますようお願い申し上げます。