平成15年3月3日放送
 妊産婦への家庭内暴力の実態
  ―全国産科医療施設の多施設間アンケート調査よりー
 日本産婦人科医会医療対策委員会委員 片瀬 高


はじめに

 夫婦間暴力が女性のメンタルヘルスにもたらす影響は、バタードウーマン症候群として知られており、わが国でも急速に大きな注目を集めるに至っています。また夫婦間暴力の存在する家庭環境は、乳幼児や児童に対する虐待などが発生しやすい環境でもあります。この意味で、夫婦間暴力は、子どもも含めて、家族全体のメンタルヘルスに対して、重大な影響を及ぼします。夫婦間暴力の犠牲者となる女性の多くは、身体的にも心理的にも、夫から常に監視されている状態ともいえます。そのような状況が発生しやすい時期として、妊娠や出産期があげられます。この時期の女性は、妊娠中で、身体的な活動が制限されたり、また出産後は、なおいっそう育児も加わり、社会的交流や行動の範囲は狭くなる場合が多いのです。そのため、妊娠中や出産後に夫婦関係や、母親となり家庭での役割の変化が、夫婦間暴力と関連を持つかどうか検討することは重要です。

 そこで私たちは、医療機関を窓口として、妊婦さんに向けてのアンケートを実施しました。その結果をもとに、どのような女性が夫やパートナーから暴力を受けやすいのかについて検討し、妊産婦さんと日々接する私たち医療スタッフが、ラジオをお聞きの皆様と一緒に、どのような支援や介入ができるかについて考えていきたいと思います。

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 今回私たちが行いました調査の対象と方法について、簡単にご紹介しましょう。
 私たちは、全国の産科1,003施設に協力を要請しまして、そこを受診した妊産婦さんに対し、アンケートへの回答を依頼しました。合計1,253人の妊産婦さんより、調査の意義について同意をいただき、回答をいただきました。
 妊婦さんへの夫からの暴力には、身体的なものにとどまらず、性的なものや、また精神的な暴力もあります。

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 身体的暴力には、次に述べるような項目をたずねました。
 命の危険を感じるくらいの暴行を受ける、医師の治療が必要となる程度の暴行を受ける、また医師の治療が必要とならない程度の暴行を受けるなどです。

 性的暴力については、嫌がっているのに性的な行為を強要される、見たくないのにポルノビデオやポルノ雑誌を見せられる、避妊に強力しないなどについてたずねました。

 精神的暴力については、何を言っても無視され続ける、交友関係や電話、郵便物を細かく監視される、「誰のおかげで生活できるんだ」とか「かいしょうなし」と言われる、大声でどなられるねどについて、あてはまるかどうか、たずねました。

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 調査にお答えしてくださったのは、20代と30代の妊婦さんがもっとも多く、結婚された年齢は20代が最も多く約70%をしめておりました。しかし、10代の結婚も41名、約3%にみられました。約7割は、専業主婦であり、また全体の5割が経産婦でした。

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 それでは、結果の中でいくつか重要な点を述べます。

 暴力の内容で最も多かったのは、大声で怒鳴られるという項目でした。約5%の妊婦さんが、何度も怒鳴られたと答えておられました。1〜2回程度は、怒鳴られたことがあると回答したものまで含めると、約10%の妊婦さんが、大声で怒鳴られた経験があったのです。ここで、注意するべき結果として10代の女性からの回答があります。彼女たちは、先ほどご紹介した、どの暴力の項目についても、他の年代の女性よりも、暴力をうけていたのです。とりわけ、命の危険を感じたり、医師の治療が必要となるほど激しい暴行を受けている10代の女性の割合が、15%にもおよび、これは、他の年齢の女性に比べて、大変高いといえます。ほかにも、夫が避妊に協力しないとの回答が約30%、また交友関係や電話、郵便物を細かく監視されるという回答が40%にものぼり、10代の妊婦さんには、暴力の被害に関しては、十分に注意を払う必要があるといえます。

 次に妊産婦の女性が持っている医療や身体的サポートなどを特に必要としているという、ある意味で脆弱性と言えるものに結びついた暴力に関する項目についてお話しします。

 すなわち妊娠中の体調の変化に応じて必要な医療行為を受けさせない、胎児をも意図的に危険に曝すような暴力振るうなど特殊な状況が考えられます。これらに関する各項目についての回答をみると、妊婦のおなかを蹴るなどして母胎・胎児を危険に曝すような身体的虐待行為がみられたのは、1.7%と頻度としては低い結果でした。一方より頻度が高くみられるのは性行為の強制(11.2%)や、体型の変化について嫌みをいう(11.4%)、つわりやお腹が張ったとき依頼しても手伝わない(8.1%)などの性的虐待、情緒的虐待、ネグレクトにあたる行為でした。年齢別に検討しますと、いずれの行為による被害も、10代の女性において数倍高い頻度で見られることには注目する必要があります。また夫(パートナー)が胎児に関心を示さないことが何度もあるという回答が10代女性では11%あり、親となるための心理的準備が不足している状況が推測される。

 実際には、妊婦さんは、どのような暴力を受けていたかについて、事例として報告された内容をご紹介します。

たとえば、

  • けんかをした際に殴られることがよくある。妊娠中もお腹が大きいのに床をひきずりまわされた。
  • タバコを押しつける、殴る、蹴る  
  • なぐる、ける、物をなげつける、食卓をひっくり返す
  • テーブルの角にぶつけられ、足でけられた
  • 夫が荷物をおなかめがけて投げつけてきた
  • 壁に強く押さえつけられる

などの報告がありました。
また、これらの暴力は、特に夫が飲酒をしたり、そのあとにはげしくなることもあります。

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 これらのことから、私は、まとめとして、次のようなことなことを、強調したいと思います。

 まず、虐待される女性、すなわち、バタード・ウーマンの問題は、古くて新しいテーマであり、これは、歴史や文化の差を越えて存在する事実であります。特に、米国では、その実態調査や研究、また、彼女らに対する支援活動が、さかんです。ある米国の心理療法家は、約4,000人ものバタード・ウーマンを調べ、彼女たちの3分の1は、暴力的な男性の申し出に従う形で、半ば強制的な結婚をしていました。(参考Walker,LE :バタード・ウーマン 虐待される妻たち、斉藤学監訳、金剛出版、1997)。また、虐待する男性自身も、精神的に幼く、その妻たちは、自分でなければ夫を救えないと思い込み、その結果、虐待の関係をいつまでも引きずるようになるのです。

 わが国でも、斉藤氏らによる調査があります。(斉藤学:家族依存症 新潮文庫1999)。妻に暴力を振るう男性には、いつか自分が捨てられるという基本的な劣等感があり、それが暴力の引き金になると斉藤氏は説明しています。暴力は、回を重ねるごとにエスカレートし、酒の影響が加わるといっそうひどくなるのです。しかし、バタード・ウーマンは、自分が彼らから必死で求められていることを感じるので、助けを外に求めません。だから、女性が、自ら逃げ出したり、サポートを求める率は少ないと考えられるのです。

 そのために、女性は、さまざまな心理的後遺症をこうむることになります。そうすると、その女性の育児態度にも反映して、時には、その子どもたちにも何らかの身体的または心理的な悪影響が及ぶこともあります。極端な場合では、子どもへのネグレクトや虐待にいたることもあります。

 これらのことを考えますと、私も含めて産科のスタッフは、妊婦の診療や検診にあたっては、産科的な診察や検査のみでなく、妊婦さんの顔の表情や皮膚の状態、すなわち、顔や手足やかくれた部分にあざややけどなどがないかなどにも注意を払うことが大切です。

 最後に、実際の診察に際しては、次のような点を念頭に置いてほしいと思います。妊婦さんへの暴力は、どの家庭でも起こりうるということです。その女性の教育レベルや専門的な職業レベルにも関係がありません。また、虐待を受けた女性の中には、うつ病をはじめメンタルケアが実際に必要な方たちもいます。家庭内で妻を虐待する夫は、一歩外に出ると、一般の社会では、暴力的ではなく、ごく普通にみえる人もいるのです。そうなると、その妻は、周囲に対してサポートを求めにくい状況におかれることになるのです。先ほど述べました暴力被害のサインを診察などで見出したときには、ひとこと、それを話題にして『暴力をうけてはいませんか?』とこちらから、はっきりきいてみることが大切です。彼女たちへのサポートの一歩は、まさにここから始まるといえましょう。

 最後に医療スタッフとして本調査結果を踏まえ、今後の実践的な取り組みのあり方につなげていくために、以下のような事項を指摘し結びとしたいと思います。

 第1に、家庭内暴力(Domestic Violence; DV)防止法が制定され、女性のDV被害を早期に発見する立場にある人々には、告知その他の義務が生じたという認識を医療従事者間に広める必要を感じております。このためには本調査結果、夫婦間暴力に関するパンフレットなどを・産科医療の関係諸機関への回覧することなどを考えております。医療スタッフとしての第一の役割はその発見に関わることであるからです。第二にDV被害女性のための保護支援団体など社会資源に連携して、妊産婦の事例の実態の把握にさらに努め、発見後の支援に向けて諸機関のネットワーク確立の一翼を、医療を通じて女性に関わる私たちが担う必要があると思います。

夫婦間暴力の種別と頻度の妊婦と一般女性とのアンケート結果比較