平成14年1月7日放送
 年頭所感
 日本産婦人科医会会長 坂元 正一

 明けましておめでとうございます。

 2001年21世紀に入って第一年目、世界中が何か良くなるだろうと期待していたのはとんでもない間違いでした。

 我が国でたった一つの明るいニュースは、皇太子妃雅子様が内親王様・敬宮愛子様を御安産あそばされたことでありましょう。御成婚後8年の歳月が過ぎ、マスコミは例によっての大騒ぎではありましたが、テレビ皇室特番はいずれも一桁台の視聴率で、期待したブームは起こりませんでした。それはそれで考えることはありましょうが、世界をあげての経済不況と戦乱による心の冷え込みや先行きの不安が、おめでた気分を打ち消してしまったのが実際のところでしょう。それほどに2001年9月11日のアメリカの同時多発テロ(ニューヨークテロ)と反応したアメリカその他の激しい対応は人々を不安のどん底に陥れてしまいました。その頃、テレビをつければ世界貿易センタービル崩壊テロのニュースばかり、流石にテロの効果と市民の動揺ぶりに息をのんだもののニュースの中の『これはWARだ。』『第二のパールハーバーだ。』『カミカゼ・テロだ。』の言葉に激しい抵抗を覚えたのも事実です。“違う。戦争とテロとは違う。”戦争は主として国益のぶつかり合い、今日に至るまで続いているからこそ、其処にはルールがつくられ講和のための条約が決められています。歴史上宣戦布告無しに戦争に介入し、圧倒的な力で超大国になったのはアメリカのみです。極東裁判でルールを破ったのはアメリカ主体の連合軍でしたし、外国へ武器を輸出し続けたのはその国々です。個人的にはアメリカ人は親切で好きですが、国益主義で大国エゴに燃え上がると手段を選ばない生き方に、テロの対象になるのも無理はないと思います。虐げられた人々は決してテロリストとして生まれたわけではなく、テロリストになってしまうのです。勿論千年の歴史・宗教・文化のボタンのかけちがいもあったでしょうが、この数十年のアメリカの中東政策の致命的な政治的過失の所産の結果であり、ブッシュジュニアはその事実に対して宣戦布告をした最初の大統領になりました。アメリカは中東において、貧者に対して富者の、弱者に対して強者の、清教徒に対して堕落の側に味方し、パレスチナ紛争ではイスラエルに味方する不公正な調整者だったのです。攻撃目標はテロリストとして湾岸で学んだ多国籍軍とその援助を求めつつ、主な攻略は独占し、誤爆と称する猛攻撃で多数の市民は犠牲になっています。近代の最新の兵器を持った大国と、戦国時代の武士の群れが戦っているようなもので、一面での勝利がはっきりしてくるとイスラエルはパレスチナに宣戦布告をしてしまいました。アラブの諺のように「人間は先祖に似るよりも時代に似る」通り、アメリカと全アラブ、西欧とアラブ、進展によってはEUとの争い、アラブ内の富と貧困の戦、今こそ冷静になって軍事裁判での解決など改めなければ最も恐れた終りなき戦いと全世界のテロ蜂起による滅亡を待つだけになります。本当の平和を待たずに暫定政府による戦後政策がたてられているのは、地力のある白人のいつもの手段で、第二次世界大戦真珠湾攻撃半年前にすでにルーズベルトとチャーチルは対アジア戦後政策を打ち合わせています。ヨーロッパ諸国の侵略は資源を求めてのものだったことを思い出してみると一つの図式が浮かび出てきます。中東最後の大資源はアフガンの地底にあり、ソビエトの例を見るまでもなく単独の攻略は失敗の恐れ大で、総合戦に持ち込むには多発同時テロは一つのきっかけになったはずです。大ヨーロッパ連合を目指すEUも今のままでは力不足、英国はEUの上にたって資源を求めるべくアメリカ最良の味方となり、アメリカは政治的解決の後、最大の勝利の貢献者として利権を求めるのは目に見えています。国益を常に考える米欧ロの大きな戦略を前に日本はどういう立場におかれるか、何をすべきか本当に国内の改革と真の外交政策を練って唯一の被爆国として平和的貢献で各国の信頼を得る努力をすべきでしょう。一大躍進を遂げた中国、その経済的自体を見極めないと技術輸出後の5-6年後に何が起こるか反省の戦略をたてるべきです。日本は少なくともアジアにおいて信頼される道を探るべきでしょう。同時多発テロが起こったのは城山三郎さんの「指揮官達の特攻」を読み終わったときでした。私の知っている二人の士官の特攻への死に様が描かれ「思いのたけを書いた。二度と筆をとらなくても悔いはない」とは城山さんの言葉です。特攻はヨーロッパでもあり日本のみではありません。エピローグとしての城山さんの締めくくりにはこうあります。

 二十歳前後までの人生の幸福とは、花びらのように可愛くまたはかない。その一方、かけがえのない若い人を失った悲しみは強く、また永い、花びらのような幸福は、花びらより早く散り、枯れ枝の悲しみだけが、永く永く残る。それが戦争というものではないだろうか。

 この言葉をあげた意味を考えていただきたいと思います。同時に平和は犠牲なしに、無為には得られないし、孤独でも恵まれることはないことを解ってほしいのです。アフガンの地に葬り去られる若い生命、なぜ、教育と文化を与えられないのか。双方に人の尊厳を伝えられないのか。復讐は底なし沼の復讐を生むことを伝えられないのか。しきりに思います。

 医療制度改革にも触れたいのですが、人間としてのものの考え方に気持ちが捉えられてそのことを長く申しました。無駄とは思っていません。

 医療改革の痛みをどう分担するか、坪井会長を先頭に日本医師会首脳は厚生労働大臣との談合も含め、小泉首相の「三方一両損」でどうやら決着したようです。既にデフレスパイラルに陥り物価は下がる中、企業倒産やリストラで失業者が増える中、理想の医療を求めて診療報酬の据え置きや引き上げにこだわっても、世情からすれば医師会員もまた苦しみをわかちあって欲しいという声が強い以上、一つの妥協案に落ち着いたということで賢明な判断と言えるでしょう。改革の実施時期は2002年から2003年に渡って段階的に行われ、また個々の疾患の現物給付のあり方は残されています。高齢者医療費の総枠管理は見送られましたが、これが通っていれば高齢者医療費は一定額以上には増えず、医療機関は診療報酬引き下げ以上に打撃を受けたかも知れません。診療報酬本体(医療機関に支払われる診療報酬=個々の治療行為に対する診療代の公定価格、検査や投薬分で増える出来高払いも含まれます。患者の一部自己負担を除いた総額が公的医療保険の医療費になります)それが2.7%下げになりました。下げ幅は過去最大です。医師の技術料などの診療報酬本体は初めて1.3%下げ、薬を医療材料の公的価格も医療費換算で1.4%引き下げ、合計2.7%下げになります。モノの代金は公定価格で支払われるので、それより安く購入した場合は差益が生まれますが、公定価格が下がれば差益がほとんどなくなります。かつての差額7.1%は在庫管理費2%の薬価差を認めながら薬価差で5%分の引き下げが実施されるので、医療費換算で前述のような引き下げになります。こうした数字は医学会全体の平均として示されますが、各科に分けてみないと実態はわかりません。中医協から個人診療所はこの二年で5%増収。小病院は10%以上と新聞に発表されました。しかし私どもの科では収入総額は減少しているのを企業努力で節約した分を引いた差額が利益としてアップ分にされていることになり、産科医や新生児医の苦労は絶えないことになります。今後は各医療機関とも真剣な経営努力や効率化が問われる時代、それだけの努力を強いられることを強調して新年の挨拶といたします。