平成13年5月21日
 HRTと乳癌
 聖マリアンア医大第1外科助教授 福田 護

 

 欧米に比べ乳癌が比較的少ないわが国でも、乳癌は年々増加し、1994年には年齢調整罹患率で乳癌は女性の癌の第汕ハになりました。現在、年間約3万5千人が乳癌に罹患すると推定されています。一方、更年期障害の改善を目的に、ホルモン補充療法(HRT)を受ける女性が少しずつ増加しています。

 しかし、未だ多くの女性がHRTを受けることを躊躇します。その原因の1つに、HRTと乳癌の問題があります。日本と欧米の間には、乳癌の好発年齢、乳癌の予後などに大きな差があります。日本では40歳後半に乳癌罹患率が最も高いのに対して、欧米ではそのピークが60歳後半にあります。また、欧米の乳癌に比べ、日本の乳癌の予後が比較的良いことが知られています。したがって、HRTと乳癌についての欧米のデータを、そのまま日本の乳癌にあてはめることは適切ではありません。しかし、HRTと乳癌についての日本独自のデータがほとんどない現状では、欧米のデータをもとに、HRTと乳癌ついて考えるのが現実的であります。

 そこで、まずHRTが乳癌の発生を促進するかどうかについて考えてみたいと思います。

 1997年Lancet に、世界の文献の約90%を集計して行った検討結果(メタアナリシスの結果)が報告されています。この報告では、全くHRTを受けたことがない女性に対して、現在あるいは5年以内にHRTを受けたことがある女性と、HRTを過去に受けたが5年以上前にHRTを終了した女性を比較しています。その結果、現在あるいは5年以内にHRTを受けたことがある女性が、HRTを5年間以上にわたって受けていると、乳癌にかかる危険率が明らかに高いことがわかりました。一方、HRTを5年間以上使用していた場合でも、HRTを終了して5年以上経過していれば、乳癌発生のリスクは HRTを受けたことがない女性と変わらないことがわかりました。

 そこで、このLancetの報告の内容をまとめてみます。

 まず、乳癌発生のリスクはHRTの施行期間に比例します。HRTを現在あるいは5年以内に受けている女性は、HRTの期間が1年延長する毎に乳癌の発生危険性が2.3%増加します。5年以上HRTを受けた場合、相対危険率は35%に増加します。この計算ですと、1000人の女性が、50歳でHRTを開始した場合、10年間で6人、15年間で12人の女性が新たに乳癌にかかることになります。HRTを受けたことのない女性の場合、閉経年齢が高いほど乳癌の発生リスクが高く、閉経年齢が1年高くなる毎に危険率が2.8%増加します。この閉経年齢と乳癌発生リスクの関係を考えれば、HRTと乳癌発生リスクの関係が理解できることになります。しかし、HRT を終了して5年以上経過すると、HRTを受けた期間の長さに関わらず、HRTを受けたことがない女性と同じレベルの危険率に低下します。このように、HRTは乳癌発生に関連性し、乳癌発生のリスクファクターの1つにあげられます。

 しかし、BRCA1などの乳癌遺伝子の変異、65歳以上の年齢的要因、1親等または、2親等以内の家族に乳癌患者がいる場合、などの要因に比べ、乳癌発生に対するHRTのリスクは低いものであることを理解する必要があります(表2)。HRTと乳癌発生の関連に関するデータには、多くのバイアス(偏り)が関与しています。たとえば、HRTを受けている女性は、定期的に乳癌検診を受けていることが多い。家族歴に乳癌の患者がいる場合、HRTを受けない可能性が高く、その結果HRT施行者に乳癌リスクの低い人が多くなる。逆に、HRTを受ける女性は、高学歴、高収入で、アルコール摂取量が多い傾向があり、乳癌のハイリスクグループである。このように、多くのバイアスがあるため、HRTと乳癌発生の関連について、簡単に結論づけることはできません。ただ、乳癌発生の危険性を過大に考えて、メリットの多いHRT施行を制限するのは合理的ではありません。

 そこで、HRTと乳癌検診について考えてみます。平成12年3月31日、厚生省は乳癌検診についての新しい指針を出しました。この指針により、50歳以上の女性に2年毎のマンモグラフィ併用検診が行われることになりました。一方、50歳未満の女性には、従来どおり年1回の視触診による検診を行うことになっています。HRTを受けている女性は乳癌発生リスクが高いため、一般女性より頻繁にマンモグラフィ併用の乳癌検診を受診すべきです。HRT施行中に乳腺組織濃度が高くなる症例があることより、HRTを開始する際にマンモグラフィを撮影しておくことが、HRT施行中に発生した乳癌の見落としや所見の読み過ぎを防ぐために重要です。HRTを始める際には、乳癌に関する家族歴や乳腺疾患の既往などの問診を取るとともに、マンモグラフィや乳腺超音波検査による乳癌検診を行って下さい。そして、HRTの施行中あるいはHRT終了後5年以内は乳癌発生リスクが高いと考え、1年毎のマンモグラフィを併用した乳癌検診が必要と考えます。HRT施行中に発症した乳癌は、腫瘤径が小さく、増殖速度が遅く、組織学的悪性度が低いと報告されています。また、エストロゲン依存性が高く、内分泌療法に良く反応する可能性があるといわれています。HRTによって乳癌の発生頻度が高くなっても、エストロゲン依存性で発生した乳癌の生物学的悪性度が低く、予後が良好であれば、HRTにより乳癌発生率が高くなる悪影響は相殺される可能性があります。実際、HRTを現在あるいは過去に受けた女性群の方に、乳癌死が少ないとの研究報告があります。しかし、早期発見、早期治療をしなければ、乳癌はより進行し悪性化します。HRTが影響する乳癌は悪性度が低いとして、乳癌検診を怠るべきではありません。乳癌患者の予後に対するHRTの影響については、現在のところ一定した見解は得られていません。

 しかし、乳癌手術後の生存率を検討すると、術後5年から10年の間に生存率が約10%低下することでわかるように、ゆっくりと再発、死亡する乳癌患者がいます。また最近では、乳癌に対する抗エストロゲン剤(タモキシフェン)は、2年間投与より5年間投与の方が、再発や死亡が起こる危険率を下げることがわかっています。とくに、エストロゲンレセプター陽性症例にタモキシフェンの5年間投与の効果が強く認められます。したがって、乳癌患者にHRTを施行する場合、乳癌の病期、リンパ節転移程度、エストロゲンレセプター、プロゲステロンレセプターの状態などを十分に考慮し、個々の症例に合わせてHRTを計画すべきです。現在、乳癌患者に対するHRTのデータがまだ十分でないことより、まだ当分は乳癌患者に対するHRTは、慎重であるべきです。現在、欧米で乳癌患者に対するHRTの二重盲検試験が進行中でありその結果が待たれます。以上、お話ししてきましたように、HRTは乳癌の発生に影響します。その影響は、HRTの施行期間の長さ比例します。しかし、HRTを終了して5年以上経過すると乳癌発生への影響がなくなります。HRTは乳癌発生の強いリスクファクターではなく、乳癌発生の危険性を過大評価して、メリットの多いHRT施行を制限するのは合理的ではありません。HRT施行中の乳癌の予後は良好と考えられますが、早期発見が重要であり、HRTを始める前、HRT中、HRT終了後5年間は、年1回のマンモグラフィを併用した精度の高い乳癌検診を行う必要があります。当分は、乳癌患者に対するHRTは慎重にすべきです。今後、HRT と乳癌とに関する日本女性のデータが望まれます。