平成12年4月24日放送

 不妊治療の光と影(第52回日本産科婦人科学会会長講演より)

 徳島大学医学部産科婦人科教授 青野 敏博

 

  平成12年4月1日から4日間、徳島市において、第52回日本産科婦人科学会総会なうびに学術講演会が開催され、全国から約4,000名の参加者を迎えて、盛会裏に終了することができ、担当校として感謝しています。

 今回は会長講演として、「不妊治療の光と影」を取り上げました。20世紀の後半の生殖医学の研究の進歩は目をみはるものがあり、その成果は有効性の高い排卵誘発法や、画期的な生殖補助医療の開発となって実を結び、不妊に悩む多数のカップルに挙児の喜びをもたらしました。

 しかし他方で、これらの治療の安易な実施は、重大な副作用や、倫理的問題など、予想もしなかった弊害を生む結果を招きました。

 そこで今回は、不妊治療の進歩を総括し、解決しなければならない問題を明確にすることで、演者から21世紀の不妊治療を担う医師へのメッセージとしました。

 第Iの項目は、不妊治療の光についてです。

1.排卵誘発法の進歩

 生殖内分泌学の研究の進歩により、排卵誘発法の機序が次第に明らかにされるとともに、新しい排卵誘発法が、次々と開発されました。

 1958年にGomezellによりヒト下垂体性ゴナドトロピン、1960年にはLunenfeldによりヒト閉経期ゴナドトロピンによる排卵誘発法が臨床応用され、視床下部-下垂体性無排卵症の治療に高い効果を示しました。

 次いで1961年には内服剤のクロミフェンが合成され、視床下部性無排卵症を簡便に治療できるようになりました。1973年にはVargaらが高プロラクチン血症による排卵障害に対して、ドパミンアゴニストのプロモクリプチンを投与したところ、高率に排卵が誘発され、妊娠に至ることが報告されました。1980年にはゴナドトロピン放出ホルモンのパルス状投与による排卵誘発法に成功しています。

 1992年に至りリコンピナントFSH製剤が製造され、FSHの安定供給が可能となりました。

2.生殖補助医療の発展

 1978年に英国で世界初の体外受精児のルイーズちゃんが誕生したことは、人類にとって画期的な出来事でありました。かつては神の仕事と思われていた生殖現象を制御できる手段を人類は手に入れたのです。

 1983年には東北大学でわが国初の体外受精児が出生し、1998年にはわが国で年間10,000人以上の体外受精児が生まれるまでに普及しました。

 1983年には、凍結受精卵の融解後の移植、1984年には配偶子卵管内移植による妊娠、1992年には卵細胞質内精子注入法による妊娠と次々と新しい技術が導入されました。

 これに伴い、対象患者も、卵管性不妊のみならず、重症の男性不妊、原因不明不妊と拡大してきました。このように各種原因に対応した治療法の発展によって、これまで治療が困難であった症例が治療できるようになり、不妊患者にとって希望の光が見えてきた時代でした。

第IIの項目として不妊治療の影の部分についてまとめます。

1.多胎とOHSS

 不妊治療の普及とともに、過剰な排卵誘発治療あるいは多数の胚を子宮に移植した結果、1990年頃より多胎妊娠とくに3胎以上の多胎が急激に増加してきました。多胎妊娠は、早産児が増加し、NICUの施設を占拠し、家族に多大の負担を強いることになり、その他に減数手術の増加などさまざまの問題点を抱えています。

 また多量な排卵誘発剤の投与は、卵巣過剰刺激症候群の発生を増加させ、排卵誘発で1.7%、体外受精で6.5%の患者が入院を要し、稀ではありますが、血栓症による死亡例も出ています。副作用を顧みず、妊娠率の向上のみを追求する姿勢はすでに許されない時代になっています。

2.副作用の予防

 排卵誘発における副作用の予防対策について考えてみましょう。排卵誘発治療で多胎妊娠と卵巣過剰刺激症候群を予防するには、可能な限り単一排卵を目指すことが重要です。初めはhMGからhCGへ切り替えるタイミングを厳重に測ることが試みられましたが、この方法では成功しないことが判明しました。そこでFSH低容量持続療養や、FSH-GnRHパルス療法など、ゴナドトロピン療法のスケジュールそのものを改良し、成果が得られるようになりました。

 一方、体外受精-胚移植で、移植胚数を3個以内に減らすよう、日本産科婦人科学会は会告で指導していますが、胚盤胞移植などを応用して、移植胚を1〜2個にさらに減らす努力を行うべきでしょう。

 卵巣過剰刺激症候群の予防には、ハイリスク例では、全胚の凍結や、プロゲステロン膣坐剤の投与により、hCGの投与量を減らすことが有用と思われます。

 第IIIには不妊治療と社会について述べます。

1.減数手術

 近年3胎以上の妊娠に対する減数手術の施行例が増加しています。我々が厚生科学研究として1997年から1999年について調査した成績によると、3胎では29.6%、4胎以上では64.2%の例が減数手術を受けていました。

 この率は1994年〜1996年に矢内原らが3胎以上の妊娠について行った調査結果の減数率21.7%に比べ、明らかに上昇しています。

 何胎に減数しているかを調べたところ、2胎にしているものが圧倒的に多いことが分かりました。減数手術後の流産率、母体合併症の発生率は上昇せず、早産率、新生児死亡率は減数しなかったコントロール群に比し減少していました。

 しかし、多数例についての追跡調査が行われておらず、母体保護法の条文との関係、どの児の生命を断つのかといった倫理的問題などが残されています。

2.非配偶者間体外受精

 非配偶者間体外受精については、わが国は学会のガイドラインで認めておらず、厳しい対応をしている国の一つであります。

 日本産科婦人科学会では、倫理委員会の諮問機関として、1999年8月に倫理審議会を設け、翌年2月に中間答申を頂きました。この骨子は、現時点では、卵子提供による体外受精は、一般的な不妊治療としては条件が整っていないとした上で、次のような諸条件の整備を要請しています。その条件は、インフォームドコンセントの取得、商業主義の回避、匿名の第3者からの卵子提供、高齢出産への配慮、出生児の地位保全、近親婚の回避、カウンセラー制度の確立などをあげています。

 学会では倫理審議会に追加諮問を行いましたが、中間答申についても検討を始めることになっています。

 患者のニーズがあり、医師がそれを行う技術を持っているからといって、新しい医療技術を直ちに導入してよいのではなく、学会は有効性、安全性、倫理性を医学的立場から検討し、社会は倫理性、法的裏付けなどについてコンセンサスを形成することが大切です。

 まとめを述べます。

 20世紀最後の年にあたり、21世紀の不妊治療を担う医師へのメッセージを述べたいと思います。

 20世紀後半には、産婦人科医は不妊治療に数多くの光を獲得してきましたが、同時に解決すべき多くの影を抱え込むことになりました。

 21世紀には光を追い求めるだけでなく、医師と患者と社会が手を取り合って、副作用や倫理的問題など影の部分を解決していかなければならないと思います。