平成11年11月15日放送

 妊産婦のアメニティーはどこまで追求されるか

 三宅医院院長 三宅 馨

 

● 赤ちゃん誕生の声

 “私達は世界一愛してくれる人が世界に一人いれば幸せです” 全ての赤ちゃんは、愛され、望まれて生まれて来ます。この世に一つしかない生命、かけがえのない生命として生まれてくるのです。

● 妊産婦のアメニティ

 すべての妊産婦は「元気な赤ちゃんを産みたい」「できるだけ安産で出産したい」と望んでいます。そして、これらの希望を少しでもかなえるべく日夜粉骨砕身精進するのが私たち周産期医療スタッフの仕事です。世界的にも誇り得るほどの母子の高い安全性が確立された今日、我が国において次に期待されるものが妊産婦と赤ちゃんにとってのアメニティであります。そこで妊産婦のアメニティがどこまで求められるかについて考えてみましょう。    

 快適環境と訳されるアメニティは、しあわせ一杯の妊産婦にとっても高い関心を集め、必要不可欠なものとして認識されています。単に施設のハード面だけでなく、医療内容、スタッフとのコミュニケーション、療養環境と言ったソフト面でのアメニティも含まれます。

 私は国家、社会、地域、家庭において、妊産婦と子どもは最優先で守られ支えられるものと考えます。それでこそ、エリクソンの発達心理学上最重要視される basic trust 即ち、基本的な信頼が確立され、自己の尊厳性と他者への愛が生まれる良好な生育環境が約束されるのではないでしょうか。

 一つの事例ですが、盲導犬は、生直後よりプロのパピーウォーカー(子犬を散歩させる人)に預けられ、生後1年間は無償の愛、無条件の愛の中でのびのび育てられます。だからこそ、それからの厳しい実地訓練にも耐え、気高くも尊い献身ぶりを発揮する盲導犬に成長すると言われます。我々人間も、3歳ぐらいまではのんびりと限りない無償の愛を満喫できるように母子癒着と言われるほどベタベタに可愛がられ、その後ゆっくり躾をしてもらうのが良いようです。              

 そういった意味でも、特に将来を背負う妊産婦と乳幼児が、国、地域、家、そして親にとっての宝物として可愛がられ、愛され、大事にされる中で、アメニティを味わってほしいものであります。

● アメニティとは

 アメニティは、プレゼントネス(快適さ)と同義語で、アメニティ発祥の地イギリスでは、都市計画や農村計画の目標概念とされてきました。また西欧社会では、古くからアメニティが環境を考える上での根底的な価値観として定着しており、住宅、都市、環境といった町づくりの基本理念として広く認識されています。

 一方、我が国においては、環境庁がアメニティを公用語として「快適環境」と規定しており、ほぼ物理的な側面に限定して使用されているようです。 

● ハード面からみたアメニティ

 我が国の医療環境が、アメニティの面で他分野に比べてやや時代遅れの感じがするのは事実ですが、近年急速に改善されつつあるのは好ましいことです。遅れた原因は言うまでもなく、医療サービスが国により規定された健康保険法に基づくものであることによります。健康保険の基本的考え方は、疾病に罹患した国民の過大な経済的負担を極力避けることにあり、そのために常日頃から保険料を徴収しているとされます。したがって保険外の負担、つまり差額を必要とするサービスは出来るだけ行わないように指導されてきましたし、たとえ病室などの療養環境を良くしたとしても、診療報酬の支払いに上乗せするなどの方策はとられてきませんでした。

 しかし、ごく最近になって行政側も大きく方針を変えています。医療保険による医療サービスはナショナル・ミニマムにとどめ、それ以上の付加的サービスは国民の要望に沿う形で、利用者の自己負担により選択できるという規制緩和が現実のものとなりつつあります。このことは、療養環境改善に大きな意識変革をもたらし、今後大幅なアメニティ改善が見込まれます。

 産科医療は主として自由診療であるため、医療保険による制限を受けないので、この分野ではアメニティ先進領域として、すでに療養環境の整備が試みられてきました。今後も業界のリーダーとしてさらに進化し成熟してゆくことが期待されます。 

 私には、一種のぜいたくとも言われるラクジャリーが、そのまま直接的にアメニティに結びつくとは思えません。そこには心からのもてなし、心のこもった医療サービスが必要不可欠と思います。 

● ソフト面からみたアメニティ

 今から約40年前の1960年頃、出産場所が自宅より施設へと移行しました。これを日本における第1次お産革命と呼びます。すなわち、戦前の農耕社会から戦後の急速な工業化が進む社会の中で、妊婦は農作業から離れて家事労働と育児に専念し、家庭電化製品の普及とともに妊婦の運動不足と肥満が問題視されるようになりました。この頃は、妊産婦に対するアメニティという概念はなく、医師の立ち会いの下に施設(病院、診療所、助産所)において出産をすることによって、母児の安全性が最優先されていました。

 その後、1980年代になって女性の高学歴化、高就業化といった女性の社会進出が進み、妊産婦自身も、妊娠中の過ごし方や自己実現としての出産にこだわり、自分の価値観を主張し、自分なりの人生を生きようとします。そして、妊娠出産という大イベントが、より豊かで満足度の高いものでありたいと希望するようになりました。ここにアメニティという概念が導入され、より良い環境と、サービスの充実が求められるようになったのです。

 ホテルのレストラン並みの食事が当時話題になったこともあります。このような出産の移り変わりを考えてみますと、妊産婦のアメニティは10年程前より改善されはじめ、ここ数年前からはさらに上質のものが求めれています。ホテルの合理性とプライバシー保護といった基本的な要求は当然ながら、家庭的な温かさや医療スタッフとの良い人間関係の構築に加え、自己実現へのこだわりも求められます。

 私は、妊産婦のアメニティと言っても基本的に特別なものではなく、家庭的な雰囲気の中でくつろげて、優しさと温かさの中で、何でも気楽に相談できれば十分ではないかと考えています。アメニティのソフトは、究極的に良い人間関係と信頼関係であるように思われます。

● 今後期待される妊産婦のアメニティ

 妊娠・出産という人生の一大イベントを高い満足度の中で無事に乗り越えた女性は、より逞しく自信を持って生きるようになります。良いお産が育児への自信と希望そして精神的ゆとりにつながるとも言われます。充実感や満足感、さらには母になる至福感を感じれば、さらなる出産・育児へと発展します。

 子どもの挫折は親の挫折であることを考えれば、現在の受験制度に象徴される教育体制は妊産婦のアメニティの前に大きく立ちはだかっているように思えてなりません。生命誕生の現場からあえて提言させていただきますと、激しい自然淘汰の中を無事に誕生してきた新しい生命に学力偏重の差別を加えるのは、いかがなものかとも考えます。子どもの優劣判定によって、即、親の幸福度を運命づけるという現実はいささか厳しすぎるのではないでしょうか。

 多くの妊産婦の方々と接する中で教えられたことですが、社会での母と子のアメニティが保証されさえすれば、子どもの数や、 欲しい欲しくない、生む生まないの現実的問題は大半が解決されると思われます。そして、将来的にはウェルネス維持への取り組みや生活習慣病に対する予防的試み、また生涯学習への意欲的試みといった夢物語が現実的になると考えます。いずれにせよ母と子のアメニティは、今や個人的嗜好や各家庭の域を越えており、民族、国家にとっても将来の命運を握る重要な課題となっていることに皆が気づいていく時だと思います。

● おわりに

 21世紀を前にした医療制度改革の中で、周産期医療も少なからず変革されます。その中でアメニティの見直しもあり、ハード面だけでなく、ソフト面でも大きな発展が期待されます。アメニティは医の心が通うアートとしての試みでありたいと願います。医の心とは、患者の痛みや苦しみに共感する心(sympathy)、患者を慰めるいたわる心(compassion)、患者のために尽くす心(service)そして患者に説明し、納得と同意を求める心(informed consent)と言われます。周産期で言えば、母とこれから母になる者への思いやりであり、そして子に対する愛情であると考えます。

 私たちは今一度医の原点を探り、真に大切なものに気づく必要があるのではないでしょうか。「銀も金も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも」と表現した万葉歌人山上憶良の深い愛情の奥に流れているものは、現代もそして21世紀にも通じる深い感情を喚起してくれます。

 何かの縁あって、この周産期医療に一生を捧げつつある私たちは、その現場より、その現場に居ればこそ感じること、気づかされることを、声を大にして社会に訴えても許されるのではないでしょうか。最後に私が呼びかけたい言葉、それは「親が変われば子が変わり、子どもが変われば未来が変わる」そして「母のアメニティは子のアメニティ、子のアメニティは未来のアメニティ、未来のアメニティは人類のしあわせ」です。