平成11年10月11日放送

 日母研修ニュース「トリプルマーカー」より

 名古屋市立大学教授 鈴森 薫

 

 妊婦血中の胎児特異的タンパクやホルモンを測定し、胎児がダウン症などの障害をもって生まれるかどうかを簡単に調べる「母体血清マーカー検査」(代表的なものとして「トリプルマーカー検査」「ダブルマーカー検査」がありますが)これらが妊婦向けの雑誌あるいは検査会社のパンフレットを通して宣伝され、一部の妊婦に誤解を与えたり産科医もその対応に苦慮している状況が明らかになってまいりました。そこで平成10年10月、厚生科学審議会先端医療技術評価部会のなかに母体血清マーカー検査に関する見解をとりまとめるよう法曹界や生命倫理、小児科、産科看護学から選ばれた7名で構成された「出生前診断に関する専門委員会」が編成されました。作業の手順として、まず、数名の委員からなるワーキンググループを編成、「見解(案)」の素案を作成し、本委員会に提出しました。この「見解(案)」を叩き台にして委員会全体で討議し、いくつかの修正を繰り返しました。委員会で討議された「見解(案)」と討論内容は逐一「厚生省のホームページ」に掲載されましたので、各種団体や個人からも多数の意見が寄せられました。これらの意見を参考に十分に討論した結果、平成11年6月23日に開催された第6回専門委員会で最終見解(報告)に到達しました。これが厚生科学審議会先端医療技術評価部会出生前診断に関する専門委員会がまとめた「母体血清マーカー検査に関する見解(報告)」で、その内容について説明します。本文の内容は、本検査の抱える問題点とその実施上の留意事項からなっています。まず、本検査の有する問題点がいくつか指摘されました。

 第1に、妊婦が検査の内容や結果について十分な認識を持たずに検査が行われる傾向があるということです。すなわち、母体血清マーカー検査は簡便さ故に検査前の説明が十分でない場合も希ではなく、妊婦がその検査の内容及び検査結果等について十分な認識を持たずに検査を受けている可能性が指摘されました。そのため、胎児に疾患がある確率が高いと説明された場合、妊婦は、動揺・混乱し、その後の判断を誤ったり、精神的な不安から母体の健康に悪影響を及ぼすことも危惧されます。

 次に、確率で示された検査結果に対し妊婦が誤解や不安を感じることです。母体血清マーカー検査は、胎児が21トリソミー、神経管欠損等である可能性を単に確率で示すものに過ぎず、確定診断を希望する場合には、引き続いて羊水検査等を行う必要があります。確率が高いとされた場合でも大部分の胎児は疾患を有しておらず、確率が低いとされた場合にも胎児がこれらの疾患をもっている可能性は否定できません。

 また、母体血清マーカー検査は、母体から少量の血液を採取して行われる簡便さから、妊婦にも受け入れられ易い検査と言えましょう。その結果、不特定多数の妊婦を対象とした胎児異常のマススクリーニング検査として行われる可能性も問題とされました。

 以上述べたような問題点と、現在、我が国においては専門的なカウンセリングの体制が十分でないことを考え合わせますと、医師が妊婦に対して、本検査の情報を積極的に知らせる必要はないという結論に達しました。すなわち医師は本検査を勧めるべきではなく、企業等が本検査を勧める文書などを作成・配布するべきでないということです。

 医師は本検査に対して妊婦から相談があった場合にのみ、十分に意義を説明し妊婦が自発的に検査を受ける選択をした場合に限り実施するか可能な施設を紹介するということになります。

 自施設で本検査が実施される前には希望する妊婦に対し、必ず以下に述べるような留意点について理解を得ておく必要があります。その折には個別に口頭で説明するとともに文書で補足し、また、理解しやすい言葉で話し、質問には納得いくまで応えるようにします。

 第一に、生まれてくる子どもは誰でも先天異常などの障害をもつ可能性があり、また、障害をもって生まれた場合でも様々な成長発達をする可能性があることについての説明します。また、先天的なものだけでなく後天的な障害の存在も忘れてはなりません。障害はその子どもの個性の一側面でしかなく、障害という側面だけから子どもをみることは誤っています。また、障害の有無やその程度と本人及び家族の幸、不幸は本質的には関連はありません。

 つぎに検査の対象となる疾患(主に21トリソミー及び神経管欠損ですが)これらに関する最新の情報について説明します。その際には、出生後の経過は同じではなく、個人差が大きいこと、これらの疾患や合併症の治療の可能性及び支援的なケアについての情報についても話しておきます。

 さらに検査の目的・方法・原理・結果について十分に理解できるよう説明します。検査結果は、母体血液中のα-フェトプロテイン、ヒト絨毛性ゴナドトロピン、エストリオールなどの物質が、胎児が21トリソミー等であった場合に増減することを利用して確率計算して得られた数値を、年齢固有の確率にかけて算出されること. 検査結果は、21トリソミー以外の疾患や母体の合併症、既往分娩歴、個体差等によっても影響を受ける可能性があること. 母体が高年齢になると、年齢固有の確率のウエイトが大きくなるため、自ずと確率が高くなること. 検査結果が出た場合には、速やかにそれを伝えること. 再検査は意味がないとされていること、などです。

 尚、算出された確率は、理解されやすいように説明する必要があります。21トリソミーである確率は例えば300人のうち1人であるとか、逆の言い方で300人中299人は21トリソミーではない等の表現で説明します。危険率、陽性/陰性、リスクが高い/低いなどの表現は、胎児の状態が危険であるとか、好ましくないなどと誤解されることを避けるため、被検査者に対する説明には使用しない方が良いでしょう。

 次に、予想される結果とその後の選択肢についての説明します。21トリソミーについての正確な情報を得るためには確定診断(羊水検査)が必要であること. ただし、羊水検査によって1/300の確率で流産がおこる可能性があること.

 検査の結果が21トリソミーの治療にはつながらないこと. 検査の結果、確率が低く出ても胎児が21トリソミー等ではないと保障できるものではなく、また、それら以外の疾患をもっている可能性もあること. 神経管欠損等についてのより正確な情報を得るには、精密な画像診断(MRIを含む)が必要であること、などです。

 以上の事項について十分説明した上で妊婦から文書による同意を得るとともに、診療録にその旨を記載し、文書を保存しておきます。検査の説明文書や同意書は、医師がこの見解の趣旨に基づいて適切なものを準備しておくべきです。また、その後の対応のために対象となる疾患を専門とする医師や医療機関と連携を密にし、必要な情報を収集するとともに、必要な場合にはその専門の医師に速やかに紹介する体制を確立しておくことが肝要です。妊婦及びその配偶者が十分な説明を受けた後も判断に迷う場合には、いつでも 専門的なカウンセリングが受けられるよう、日頃からそれらの専門機関との連携体制を構築しておく必要もあります。

 検査後の対応について述べます。

 検査結果について、妊婦と配偶者に分かりやすく説明します。電話や手紙、FAX、電子メールなどによる結果報告は望ましくありません。

 十分な説明に対し理解が得られた後の羊水検査等の方針決定に際しては、妊婦の自己決定を尊重します。

 検査結果によっては衝撃を受けたり、大きな不安が生じる場合がありますから、妊婦及びその配偶者に対する十分な心理的ケアと支援を行うことも必要でしょう。

 検査後においても、必要に応じて、専門的なカウンセリングが可能な施設を紹介すると良いでしょう。当該疾患に関する相談が受けられる施設や本人・親の会及び支援グループの存在やその情報を提供することも大切です。

 問題点を要約しますと、妊婦は本検査を受けるかどうかの選択、胎児がダウン症などにかかっている確率が高いと判定されたら、羊水検査を受けるかどうかの選択、羊水検査でダウン症であることが確定したとき、出産するか中絶するかの選択、以上連続した3つの選択に迫られるということです。以上、最近、問題になっている「母体血清マーカー検査」とその取扱いの概要についてお話ししました。