平成11年7月12日

産婦人科手術と肥厚性瘢痕

帝京大学医学部附属市原病院産婦人科 助教授 合阪 幸三

 

 医学の目的は疾病の治療であり、この点から、従来は手術の際には正確な診断の下に病巣部の切除がきちんと行われ、術後合併症もなく順調に経過すればそれでよいとされてきました。しかしながら近年、患者のニーズの多様化から、単に創部が治ればよいというのではなく、形成外科的概念に基づき創部を出来る限り目立たなくすることが要求されるようになってきました。手技的には、合成吸収糸を用い、皮下縫合を丁寧に行い、表皮も従来のように絹糸による縫合を行わず、ナイロン糸による埋没真皮縫合、3Mテープなど強力な粘着テープによる皮膚接着等が試みられております。しかし症例によっては、如何に丁寧な処置を施しても術後に瘢痕性のケロイドを形成する場合があり、患者に少なからぬ苦痛を与える結果となっていたようです。

 一方、従来アレルギー性疾患の治療に用いられているトラニラスト(商品名:リザベン)は、mast cellの遊走を阻害し、アレルギー反応を抑制することから、肥厚性瘢痕の形成予防にも効果的であると報告されております。そこで婦人科領域の手術症例に対してリザベンを投与し、その効果を検討いたしました。

 対象は子宮筋腫のため下腹部正中切開で開腹手術となった症例のうち、十分なインフォームドコンセントを行い患者の承認の得られた17例としました。リザベンは1日300mgを術後1週間以内より6ヶ月間内服投与し、その効果を検討いたしました。同時期のリザベン非投与症例28例をコントロールとして比較の対象としました。

 今回は、自覚症状として、創部の掻痒感、圧痛、自発痛、他覚所見として瘢痕の形成度をそれぞれ、0:全くない、1:軽度、2:中等度、3:高度の4段階にスコアリングして、術後1、2、3、6ヶ月目に評価しリザベン投与、非投与例で比較検討しました。

 まず自覚症状の改善度ですが、創部痛、圧痛に関しては、リザベン投与、非投与で術後6ヶ月までほとんど同様に推移し、有意差は認められませんでした。しかし掻痒感については、術後1ヶ月目からリザベン投与群の方がやや改善する傾向がみられ、術後6ヶ月目で投与群:0.82±0.47、非投与群:1.49±0.78と、スコアリングでリザベン投与群の方が有意に改善されていることが明かとなりました。リザベンは局所のアレルギー反応を抑制するとされておりますが、その結果、創部の掻痒感が改善されたものと考えられました。

 次に他覚症状の改善度についてお話しいたします。創部の肥厚性瘢痕の程度をスコアリングして検討しましたところ、リザベン投与群の方が非投与群に比べていずれの時期も改善する傾向がみられ、投与6ヶ月目ではリザベン投与群:0.65±0.70、 非投与群:1.32±1.06と、リザベン投与によりケロイドの形成が有意に抑制されていることが明かとなりました。

 実際の症例の写真は「産科と婦人科」 第65巻(1998年12月号): 1817~1821ページ、もしくは1999年6月17日発行のメディカルトリビューン誌(第32巻、24号)に掲載されておりますので、ご参照して戴ければ幸いです。ラジオ放送ですので、症例の写真はお見せできませんが、臍下切開例、あるいは巨大筋腫のため臍上に切り上げた症例とも、リザベンを予防的に投与することにより、投与6ヶ月目には白っぽい瘢痕が大部分を占め、ごく一部が軽度盛り上がっているのみとなりました。

 一方、リザベン非投与例では、症例によっては術後6ヶ月目においても、はっきりとしたケロイドが認められるものもありました。

 リザベン投与に伴う副作用としては、肝機能障害などが報告されていますが、今回の研究期間中に、リザベン投与による重篤な副作用は認められませんでした。

 冒頭にも述べましたが、近年の患者のニーズを考慮すると、疾患の治療の目的で手術を行う場合でも、単に創部が癒合すればよいというのではなく、創部を出来る限り目立たなくすることが要求されるようになりつつあります。腹腔鏡手術が婦人科領域でも数多く行われるようになってきたことも時代の流れと申せましょう。以上の観点から、良性疾患については、可能な限り腹腔鏡手術で行うという施設や、下腹部正中切開を出来る限り回避してPfannenstiel切開法による開腹を原則としている施設など、従来に比べると婦人科領域でも創部を目立たなく、きれいにするということにこだわるようになってきています。しかし腹腔鏡手術やPfannenstiel切開法を用いても、症例によっては創部に肥厚性瘢痕を形成する場合があります。

 今回用いたリザベンは、アレルギー反応を抑制することから、他科の領域では肥厚性瘢痕の形成予防にも効果的であるとの報告がなされていました。そこで今回、婦人科領域の手術症例に対してリザベンを投与し、その効果を検討しました。

 婦人科疾患といっても様々な症例が含まれ、各症例の背景により創部癒合の状況も修飾を受ける可能性があるので、今回の検討では下腹部正中切開による開腹手術をうけた子宮筋腫の症例のみを対象としました。その結果、肥厚性瘢痕の形成といった他覚的所見は、リザベン投与により有意に抑制されていることが明かとなりました。自覚症状においても、アレルギー反応と最も関係すると考えられる創部の掻痒感がリザベン投与によりやはり有意に改善されていたことから、リザベン投与による肥厚性瘢痕の形成抑制効果は、既に報告されているようにmast cellの遊走を阻害し、アレルギー反応を抑制することによるものと考えられました。

 なお、今回は具体的にお示しできませんでしたが、我々の施設では既に腹腔鏡手術やPfannennstiel切開法による手術症例でもリザベンを投与することにより、肥厚性瘢痕の形成予防に良好な成績を得ております。従って、下腹部正中切開のみならず、小さな手術創の患者さんに対しても、術後のリザベンの予防的投与は有用であると考えられます。

 もちろん、リザベンの投与は万能ではありません。リザベン投与によっても肥厚性瘢痕の著しい症例に対しては、創部の圧迫が有効であるとされておりますので、そのような症例に対しては、創部をガーゼやスポンジなどを分厚くしたもので覆い、ガードルなどにより上から押さえるという方法がよいとされています。ただ、いろいろな方法によっても改善のみられない場合は、いたずらに症例を抱え込まずに、形成外科にコンサルトして除去手術を行っていただくという方法も考慮すべきであると考えます。

 以上、リザベンの投与による肥厚性瘢痕の予防効果についてお話しいたしました。今後ますます患者の幅広いニーズに応える医療が要求される時代となることが予想されることから、術後の肥厚性瘢痕の予防にリザベンの投与は試みられるべき方法であると思われます。