平成11年5月3日放送

 骨粗鬆症に対する費用対効果-HRTを中心に-

 慶應義塾大学医学部産婦人科学教室助教授 太田 博明

 

 わが国における骨粗鬆症に関する医療費についての研究は,1986年折茂先生により企画・構成された「骨粗鬆症」の論文中に,患者一人当たり年間74〜156万円かかるという報告がなされているのがはじめてかと思います。また1990年に井上先生はわが国の骨粗鬆症に対する医療費として年間2,000億円を推計しています。しかし,これらはいずれも骨粗鬆症自体の治療および骨折治療など,総治療費の中の一部分のみにすぎません。
 cost-of-illness(疾病費用)というと,いわゆる治療薬などの直接費と介護費用や患者のプロダクション・ロス等の社会的なコストである間接費に分類され,その両者の総和が総コストとして推計されます。なお,ちなみにこの間接費は米国,オーストラリア,スウェーデンなどでは総コストの40〜50%を占めると報告されています。さらに,治療費(cost)は施行される治療法によっても異なり,それによって延命日数や生存率の改善などの benefit も異なるはずであります。つまり医療技術を社会的および経済的側面から評価を行おうとするものが社会医学的評価(socioeconomic evaluation)で,この評価によって最も資源効率的な(cost-effectiveness) 医療技術を選択することが可能になります。
 次に,骨粗鬆症のcost-of-illnessの推計にあたって,なぜ,今この研究の必要性が問われているかについてお話します。
 わが国は急速な高齢化に直面し,増大する医療費とともに高齢者に対するケアが現在重要な社会問題となっています。骨粗鬆症には明らかな性差があり,閉経後女性に多発するのが特徴で,45歳位から発症します。新しい骨代謝学会の診断基準では50歳以上の女性の24%が本症に罹患しているといわれており,加齢とともにその罹患率は上昇します。合併症として,椎体圧迫骨折・橈骨下端骨折・大腿骨頚部骨折を来しますが,中でも大腿骨頚部骨折はその後寝たきりにつながるケースも多くみられます。このように大腿骨頚部骨折は一度罹患すると完治することは難しく,死亡するまで適切な治療とリハビリを要します。従って,骨粗鬆症自体の治療費ばかりでなく,骨折や寝たきりなどの治療に対するcostも誘発するため,社会的に莫大な資源コストを消費することになります。患者数が増加すれば,医療費の高騰にますます拍車がかかることは自明のことです。しかし最近の臨床研究により,骨量のコントロールが予防につながることが明らかになってきています。従って,骨粗鬆症は対策が逼迫している退行期疾患のなかでは最も予防効果が期待されており,早期に予防・治療を施せば,将来の医療費を大幅に削減することが可能な疾患といえます。
 このような背景から,本症は予防に重点をおいた臨床研究の意味合いの高い疾患であるにもかかわらず,本疾患に対する医療費および社会経済的分析からの実態を把握したものは数える程しかないのが実情です。ここでは骨粗鬆症のgold standardとなっているHRTについての費用対効果を採り挙げようと思います。
 しかしHRTの骨粗鬆症に対する費用対効果について分析することは容易ではありません。なぜならば,HRTのpharmaco-economics費用対効果を論ずる場合には,その効果は骨粗鬆症ばかりでなく,更年期障害や心血管系疾患,さらにはアルツハイマー型痴呆にも及び,それも20年,30年の単位の長期的展望にたった分析を要するからであり,またその間の個人的・社会的環境の変異があるため,それに要する収支を計上しなければならないからです。
 そこで,本日は時間の関係からHRTの医療経済効果を骨粗鬆症を中心に検討した外国の3文献をreviewし,将来に真の費用対効果を論ずる際の参考としたいと思います。
 Tosteson ら (1990年,米国) の報告では骨折リスクの高い女性に的を絞ったHRTは費用対効果が高かったといいます。すなわち費用対効果を増すためにはHRT施行者の選択が重要であるとしています。
 ClarkとSchuttinga(1992年,米国)の報告では1988年の米国人女性109万人に当てはめて推計すると,50%の女性がスクリーニングを受け,骨折リスクに基づいたHRT にて治療したと仮定すると,2,760万ドル (現在の1ドル140円に換算すると,38億6400万円) と莫大な節約が期待できるといいます。このことは骨折リスクの高い人へのHRTは費用効率が莫大なものになる可能性があることを意味しています。
 次にCheung と Wren(1992年,オーストラリア)による報告では,HRTの費用対効果は症状のある女性において高く,症状のない女性においては,心臓疾患に対するメリットおよびHRTの治療期間に依存するといいます。従って,症状のない女性に対する短期間におけるHRTの費用対効果は決して高くないとしています。つまりHRTは安価といえども費用効率を高めるためには対象者の選択が何よりも重要のようです。
 骨粗鬆症に対するHRT施行時における費用対効果というテーマを十分に論ずるには,費用対効果をどこからスタートするかという問題が先ずあります。すなわち,スクリーニングをして,骨粗鬆症者を抽出する経費を算定するところから含めるのかという問題があります。次にHRTをどの時点から開始するということがあります。骨量減少から開始した場合と骨粗鬆症と診断されたものに対してのみ開始する場合とで当然薬剤費が異なります。また年代別の骨折率も費用対効果算出の際に是非知りたいデータです。しかしながら,わが国には全国規模のこの種のデータはまだないはずです。HRTの期間も費用対効果を求める際に問題になる点です。そして,何よりもHRTの効果は幅広いため,更年期障害がHRTによって消失し,生産性が上がったときにそれをどのように評価するかの問題もあります。またHRTの最も際だった効果は心血管系に対するものでしょう。骨折防止効果もさることながら,心血管系病変の防止はHRTの最大のメリットです。さらには HRT施行によってアルツハイマー型痴呆の改善やwell beingになったという患者も少なくありません。これらによる生産性の向上,精神衛生上の改善をどのように評価するかの問題もあります。
 これらの諸々の事柄を網羅しなければ,真のpharmacoeconomicsの問題は決して解決しないと思います。そこで,現段階では何かに焦点を絞ったモデルを作成して,その上での経済評価をすべきなのかもしれません。
 このような次第で十分な評価はできませんでしたが,一つの考え方の一端でも示すことができたとしたら幸いであります。今後わが国にもこの種の評価をする専門家の育成が望まれる次第であります。