平成11年4月5日
 医事紛争対策のための癌診断の見落とし防止
 日母がん対策委員会委員長 利部 輝雄

 医事紛争対策のための癌診断の見落とし防止についてお話いたします。

 毎日の診療の現場で、臨床診断は、病歴を聞き、現症を観察し、臨床検査を行ない、その検査データを読み解釈し、鑑別診断を行う、という過程で行われます。また、その思考の流れは、主訴に焦点をあて、初期仮説を設定し、鑑別診断をあげ、仮説検証による疾患を決定し、診断した疾患で患者の臨床症状が説明できるかどうかを見きわめるところまで進みます。

 がん診断の見落としをふせぐためには、この過程のなかで、「がん」という疾患を思いうかべることが大切です。「がん」の存在が全く念頭にないときは、見落とす可能性が高いといえます。

 通常の診療では、精神的、身体的何らかの異常のために、症状を有し医師を訪れ、診察で所見の発見できる人々を対象としておりますが、早期がんには無症状のものが多く、病巣の所見が明らかでないものも多数みられます。さらに、「がん」に関する診療においては、無症状でがん検診を希望する人を対象とする機会がそれに加わります。そのため、がん診断においては見落としを防止する必要性が、疾病の特殊性から特に望まれております。

 がんが腫瘤を形成し、その一部に潰瘍を生じたり、浸潤、転移と拡がっていきますと、出血、感染、疼痛等の症状が現われ、診断は容易で、見落とすことは皆無に近くなります。しかし、前癌病変や早期がんでは、見落とすことがあり、早期治療の機会を逸することになります。そこで、婦人科がんの早期病変のうち、外陰、子宮頸部体部、卵巣について見落とし防止策についてお話し致します。

 『外陰がん』について、病歴の留意点をお話します。

 外陰がんは60歳代の疾患とされてきましたが、最近、外陰の前癌病変や早期がんでは30歳代の女性にも発見されるようになってきており、ウイルスの関与が想定されております。外陰の前癌病変や早期がんでは約半数は無症状ですが、長期にわたる外陰部の不快感、掻痒感を主訴とするものもみられます。

 診察時の留意点としては、注意深い視診と触診につきます。視診では、まず色調の変化に注目します。白色調、赤色調、褐色の強いもの、黒色部に注意します。必要に応じて、ルーぺ、コルポスコープを併用します。湿疹上の部位をみたときは、パジェット病の存在を忘れてはいけません。触診では、病変部の厚さ硬さ、境界におけるこれらの変化に気を付けます。

 臨床検査では、生検がきめ手です。生検部位の正しい選択が、前癌病変や早期がんの診断にはきわめて重要です。そのためトルイジンブルー塗布やコルポスコープが用いられますが、専門医に依頼する方がよいときもあります。黒色病変は、触れずに専門医に依頼します。

 『腟がん』の多くは続発性で、原発性のものは極めて稀です。早期がんでは症状がなく、内診にても異常を発見できず、腟鏡診により粘膜の色調の変化で気付かれます。赤色調や白色が所見として重要で、その部位の細胞診と生検により診断されます。生検にはコルポスコピーが有用です。

 『子宮頸がん』についてお話し致します。

 子宮頸がんは、女性性器がんの中で最も頻度が高く、疫学的、基礎的、臨床的な研究の歴史も長く、沢山の業績があります。

 平成6年の厚生省の調査では、子宮頸がん検診の受診者は年間530万人と推定され、未受診者のなかの検診希望者は約200万人と推定されております。

 子宮頸がんには、前癌病変があることは知られており、これの発見、管理、治療の方法が確立していることから、早期がんの発見、治療とともに、子宮頸がん死亡の減少に直結する診療体系がととのっております。

 子宮頸がんについての病歴の留意点の一つに子宮がん検診受診歴があります。受診歴のない婦人からの「がん」や前癌病変の発見率は高いことが知られています。一方、過去2年以内に検診を受け、細胞診陰性であった婦人からのがん発見率は極めて低いことも指摘されています。

 子宮頸がんの発生に、ヒト乳頭腫ウイルスの感染が関与し、20歳代、30歳代の子宮頸がん、前癌病変の増加傾向がみられることから、性行動にかかわるリスクが重視されております。初交年齢が16歳未満、初経(初潮)から初交までの期間が1年未満、パートナー数が5人以上などが高いリスクとされております。

 臨床症状では、子宮頸部の0期やIa期の早期がんで、接触出血や帯下を訴えるものは約1/3であり、多くは無症状です。

 診察時の留意点は、腟鏡診における子宮頸部の肉眼所見にあります。0期やIa期の早期がんの85%は、肉眼的に「がん」と思えない所見で、「がん」を疑う所見のあるものは10%以下です。一方、Ib期以上の進行がんでは、その92%が肉眼的に癌と診断しえます。Ib期以上で子宮頸部に「がん」があると思えない症例は8%あり、この場合、病巣は頸管内にのみ存在し子宮口周辺に異常がみられません。

 子宮頸部の0期やIa期の早期がんでは、『症状がない、所見がないことイコール「がん」ではない』に結びつきません。そこで、臨床検査では細胞診とコルポスコピーが大切です。

 細胞診は、病巣部から採取された細胞が病変と一対一に対応するとき、その診断的価値はきわめて高くなります。子宮頸部の前癌病変や早期がんは、子宮腟部の扁平円柱境界に好発しますので、その部位を充分カバーするような細胞採取器具を選び、注意深く擦過し細胞を採取します。そして、適切な塗抹とすばやい固定を行います。扁平円柱境界が外子宮口周囲に観察されないときは、頸管内から細胞を採取します。細胞診の結果がクラスIIIa以上のときは、直ちにコルポスコピーによる狙い組織診を行うか、あるいは、精検可能な施設に依頼します。また細胞診で腺細胞の異常がみとめられたときは、精検可能な施設に依頼した方がよいと思います。

 コルポスコピーの要点は、観察部位の粘膜の損傷をさけ、十分な酢酸加工を行い、ゆっくりと落ち着いた状況で観察することです。組織検査の結果、Ia1期Ia2期の判定が困難なとき、腺系の病変のときは専門医に相談すべきと考えます。

 『子宮体がん』は、増加傾向にあり、また、若年者の発症もみられるようになってきました。

 病歴では、日本人のリスク因子として、未婚、不妊、初婚初妊の高年齢、少ない妊娠・出産回数、30歳以降の月経不規則、卵胞ホルモンの服用歴が重視されてきました。

 しかし、最近の調査では、高血圧、肥満、糖尿病を有意とするものがあります。また、既往の大腸癌家系にも注意が必要です。不正性器出血は重要な症状であり、年齢50歳以上の方、閉経後の人、未妊婦であって月経不規則な人は注意深く観察し、子宮内膜細胞診を行います。

 診察時には、外子宮口からの分泌物の流出に注意し、内診では、わずかな子宮体部の腫大に注意します。子宮ゾンデ診は必須で、これにより子宮内膜細胞採取器具を選択し、子宮内膜の細胞を採取します。子宮内膜細胞診の偽陰性率は約5%、疑陽性の約10%に癌が発見され、陽性の約80%が癌、偽陽性率は約12%です。したがって病態に納得がいかないときは、経腟超音波検査、子宮鏡検査、子宮内膜の全面掻爬を行うべきと考えます。細胞診疑陽性、陽性例は子宮内膜全面掻爬を行います。

 『卵巣がん』についてお話し致します。卵巣がんの頻度は1,000人から5,000人に一人といわれ先進国では増加傾向にあります。

 卵巣がんには特有な症状が少なく、初期のものでは無症状であり、早期発見の有力な手段に乏しいことから、発見されたときにはすでに進行癌であり、5年生存率も低い状況にあります。さらに卵巣腫大の原因は、卵巣の類腫瘍、良性腫瘍、境界悪性腫瘍、悪性腫瘍と多種多様であり、卵巣腫大の原因の診断は必ずしも容易ではありません。この事実を患者さんに説明することが重要です。

 病歴の留意点としては、卵巣がんの好発年齢は40〜50歳でありますが、胚細胞性腫瘍は20歳前後に好発します。危険因子として未婚、未妊、未産、長期の卵巣機能異常、動物性脂肪の多量摂取、一日15本以上の喫煙習慣、卵巣がん、乳がん、大腸がんの家族歴があげられます。近年、家族性のものが注目されております。
 診察時の留意点としては、通常の内診で径7cm以上の付属器腫瘤を触知したら、卵巣の新生物を考え検査をすすめます。40歳以上の婦人、特に閉経後の婦人で付属器を触れたときは経腟超音波断層法で検査します。この際ダグラス窩の貯溜液の有無にも注意します。

 触診では3〜4cm以下の附属器の腫瘤は一見落とされる可能性が高いことを説明します。

 臨床検査で有力なのは経腟超音波断層法です。触診で見落とされる3〜4cmの腫大した卵巣が検出できます。しかし、その腫瘤の本態を知るにはさらなる検査が必要です。 腫瘍マーカーは数多く検討されておりますが、良・悪性の鑑別やスクリーニング検査としてハイリスク群を選別するに充分とはいえません。卵巣の上皮性腺がんには、CA125を中心とした組み合せが用いられる頻度が高いのが現状であります。

 最近、不妊を訴える婦人に腹腔鏡検査が行われますが、この際も卵巣がんを念頭におくことが大切です。

 卵巣がんを疑うときは、専門医に依頼すべきと考えます。

 以上婦人科がんの見落とし防止策について述べました。