平成10年3月16日放送

妊娠中毒症における水・電解質代謝

東京女子医科大学母子総合医療センター教授 中林 正雄

 今日は妊娠中毒症における水・電解質代謝についてお話致します。

 まずはじめに、妊娠中の水分代謝です。妊娠中の体重増加は平均10〜12.5Kgですが、その多くを水分が占めています。妊娠中の特徴として、母体・胎児の双方に著しい水分貯留が認められ、さらに血漿および組織間液、すなわち細胞外液の増加が著しいことです。この組織間液量の増加や静脈圧の変化によって、正常妊娠においても全身的に浮腫の傾向となり、特に下肢に高率の浮腫を認めるようになります。

 また正常妊娠では循環血漿量の増加は妊娠5〜6週頃に始まり、妊娠30〜36頃にはピークとなり、最大50%、血漿量として1,500〜2,000mlの増加をみます。

 これに対して血球成分は妊娠初期より増加して妊娠30週前後でピークとなり、約20%増加しますが、血漿量の増加に追いつかないため、28〜36週で生理的水血症と呼ばれる貧血傾向を呈するようになります。

 ところが妊娠中毒症が発症すると循環血漿量は減少し、重症例ではその減少量は約40%にもなり、ヘマトクリット値が上昇します。分娩後は利尿がついて、血漿量は産後2週間ほどで非妊時の状態に復します。

 組織間液については、妊娠時特に妊娠末期に増加することがよく知られています。妊娠中には約6lの水分が貯留し、胎児成分と血液成分を引いた2.5lが母体の組織間液として貯留しているといわれています。浮腫の存在する妊婦では組織間液は5lにもなると報告されています。

 子宮の増大による静脈環流障害と立位の影響で下肢の静脈圧は900mm水柱以上に上昇します。一方循環血漿量の増加に伴い、膠質浸透圧は20%低下、アルブミン値で1g/dlの低下を認めます。また下肢の静脈圧は毛細血管圧の3倍にも上昇するため、下肢浮腫は正常妊婦においても高率に認められます。

 妊娠末期には32〜36週をピークとして、500〜800mlの羊水を認めますが、母児間では羊膜を介して1日に3lもの羊水の交換がなされています。母体で生ずる水分貯留はこの母児間の水交換を維持するために、組織間に水分を保持している合目的的な現象と考えられています。

 次に妊娠中の電解質代謝ですが、母体の血中電解質は妊娠により10mEq/lの低下を示します。妊娠中の電解質の特徴としては、Naの組織間貯留傾向と血漿Naの低下があげられます。

 正常妊娠では腎においては糸球体ろ過率の増加、Na利尿作用をもつプロゲステロンの増加などによって、生理的にNa排泄は亢進状態となります。プロゲステロンはアルドステロンのNa貯留作用に拮抗すると考えられています。これに対して、レニン・アンギオテンシン−アルドステロン系各因子の活性や血中濃度は非妊時に比べて数倍の高値をとり、尿細管レベルでのNaの再吸収を亢進させています。またエストロゲンはNa貯留作用をもつほかに、レニン基質を増加させ、レニン−アンギオテンシン系を介する作用をもつといわれています。

 結果的に妊娠後期では週3g、妊娠全期間で20〜25gのNa貯留が生じていますが、血漿量の増加がそれを上回るため、妊婦の血清Na値は妊娠初期に最も低く、その後末期にかけて徴増するというパターンをとります。妊娠全期間を通して血清Na値は138mEq/l前後であり、非妊時に比べて5〜6mEq/l低値をとります。

 この他にもNa−K ATPaseや利尿剤ホルモン、心房性ナトリウム利尿ペプチド(hANP)など多くの因子が妊婦の低Na血症成立に関与しています。

 一方、細胞レベルでの研究として、妊娠中毒症妊婦では細胞内Na濃度が正常妊婦より高いこと、Na−K ATPase活性は軽症妊娠中毒症では正常妊婦より代償性に高くなるのに対し、重症妊娠中毒症ではそのような代償機構が働かないことがわかってきています。このような細胞内Naの増加が血管平滑筋に起これば、細胞の膨化やNa−Ca exchange機構を介した細胞内Caの増加をきたすため、血管が収縮し、血圧が上昇するという機序が働くと考えられます。

 次にCa代謝ですが、生体内ではCaはその約99%が骨に、残りの1%が細胞内に存在し、細胞外液中に約1g、血清中には約0.3gが含まれています。血清Caはその約50%はアルブミン等の蛋白と結合して生理活性を持たない形をとっています。残りの50%が血清遊離Ca、すなわちイオン化Caとして存在します。

 妊娠中に母体に蓄積されるCaは約30〜45gですが、胎児は大量のCaを必要とし、妊娠末期には20〜25gのCaが胎児に蓄積されます。胎児のCa需要は妊娠30週あたりから急激に増加し、胎児に蓄積されるCa量の80%は妊娠後期に蓄積されます。

 従来、妊婦はCa需要の増大に伴い、副甲状腺機能亢進を示すとされていましたが、最近immuno radiometric assayを用いたintact PTHの測定により、2次性の副甲状腺機能亢進はみられないことが明らかになりました。

 妊娠中は消化管からのCa吸収能が非妊時の約2倍程度に増加します。Caの尿中排泄は妊娠初期にやや増加した後に徐々に低下し、妊娠10カ月で非妊時のレベルに戻るといわれています。

 通常、妊娠中はアルブミンの低下のため、結合型Caは減少しますが、イオン化Caは著しい恒常性があり、厳密に濃度が保たれるため、ほとんど変化しません。

 しかし、妊娠中毒症においてはイオン化Ca濃度は正常妊娠に比べて低い傾向を示します。その機序は未だ解明されていませんが、妊娠中毒症妊婦ではビタミンDを介した機構により、Ca吸収が低下しているためと考えられています。

 このような相対的なCa欠乏状態は細胞内ではCaを増加させるように作用し、そのことが血管平滑筋のれん縮、すなわち血圧上昇に関係すると推測されています。

 妊婦にCaを積極的に投与して妊娠中毒症の発症を予防しようという試みも行われ、高血圧型の妊娠中毒症の発症抑制に有効であるとの報告もなされていますが、未だ一定の見解には達していません。

 MgはCaと類似した化学的性質をもつことから、両者の生体における機能、代謝面での相互関係は極めて強いと考えられているにも関わらず、Mgと各種疾患との関係についてはあまり知られていません。

 細胞レベルではMgは膜電位依存性Caチャンネルの拮抗作用をもつほか、Na−K ATPaseやCa−K ATPaseの活性化作用、筋小胞体へのCa取り込みの促進などの作用をもつため、細胞内の遊離Ca量の調節因子の一つとして血管収縮に関わるものと考えられています。

 妊娠時には血中Mg濃度は非妊時より若干低下しますが、正常妊娠と妊娠中毒症との間に差はありません。しかし赤血球内遊離Mg濃度および血中イオン化Mg濃度は、妊娠中毒症で低値であると報告されています。

 おわりに

 妊娠における水・電解質代謝の最大の特徴は、大量のNa貯留とそれによる浸透圧の維持により、数lの細胞外液を保持していることです。

 これは胎盤を介しての母児間の物質代謝に合目的的な変化であると思われます。しかしその調節機構については不明な点が多く、特に妊娠中毒症と水・電解質代謝異常については今後の研究の進展が待たれるところです。