1.序文(小林 浩)

 今回の特集は,研修ノートNo. 100「産婦人科医療の近未来」に続いて,がんに特化した特集を企画しました.近年はゲノム医療に代表され,プレシジョンメディスンにはとてつもなく大きな期待が寄せられております.10 年前に分からなかったことが今分かるようになったということは,今分からないことも10 年後には分かるようになるはずです.
 癌細胞は過酷な環境で発生するからこそ,増殖のシグナルのスイッチを入れっぱなしにして,多少間違っても修復するより増殖を選ぶように運命づけられています.増殖することに専念するあまり,DNA 修復のバックアップを取ることを忘れています.例えば,BRCA 1 / 2 生殖細胞系列に遺伝子変異を有したHBOC 患者は乳癌・卵巣癌を発症しやすいことはよく知られていますが,二重鎖DNA 修復のバックアップがないため,PARP という酵素を阻害することにより癌細胞は簡単に死んでしまいます.この合成致死を利用した卵巣癌治療は本誌が発刊されたころには臨床の現場で行われていると思います.
 今まで手に届かなかったプレシジョンメディスンが現実に可能となるのです.ただし,誰にでも有効な薬ではありません.現時点では短期間の延命のために莫大な医療費を費やすことになりかねませんので,コンパニオン診断は極めて大事です.BRCA 1 / 2 に異常があるか,その経路に異常があり相同組み換え修復が作用しないような環境ではじめてPARP 阻害薬がより効果を発揮します.近未来では,あなたはこの遺伝子に異常があるのでこの薬を飲んでください,という時代になるでしょう.肺がんでも大腸がんでも卵巣がんでも遺伝子変異が同じパターンであれば同じ薬になるでしょう.でも永久に効果があるわけではありませんので,費用対効果を見定めるのも大事なことです.
 近未来の医療の現場にはネットワークを結んだInternet of Things(IoT)が導入されており,癌診断も人工知能により画像診断や組織診断に加え,遺伝学的診断がなされ,数日以内に患者ごとに有効な治療薬候補がリストアップされるでしょう.私たちは何をするのでしょうか? いくら技術が進化しても治療選択は患者ごとに異なります.カウンセリングや生活指導は最終的にはヒトとヒトとのつながりがあってこそ成し得ることです.これがInternet of Human(IoH,造語です)だと思います.
 この原稿を書いている2017 年6 月22 日夜に,がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが34 歳の若さでご逝去されたと報道され,残念な気持ちでいっぱいです.合成致死治療薬,免疫チェックポイント治療薬などを用いたプレシジョンメディスンのさらなる開発を期待したいと思います.